「この3年間、トロントに置いてきぼりにしていた愛用のプーさんのティッシュケースとも、ようやく“再会”できたようです。以前から『早く迎えに行きたい』と話していましたから、今回のカナダ渡航は“念願かなって”といったところでしょう」(スポーツ紙記者)
コロナ禍で制限を受けたこの3年の我慢の日々から一転、海外旅行へ出かける人の数が復調したという今年のゴールデンウイーク。
そんな連休目前の4月下旬。羽生結弦(28)も地元・仙台を離れて、海外へと飛び立っていた。
日本から飛行機で12時間ほどをかけて羽生が訪れたのは、カナダのトロント。’12年から在籍していた名門クラブ、クリケット・クラブのリンクにその姿はあった。
「長くカナダを訪れることができておらず、3年ぶりの訪問でした。クラブ側もスタースケーターの帰還を大歓迎。4月25日ごろから所属スケーターや関係者らがSNSで“ユヅルがクリケット・クラブに戻ってきた!”という内容の投稿を続々としていました。クラブではほかのスケーターと一緒に練習もしたようです。また、ブライアン・オーサー氏(61)らコーチ陣とも久々の再会を果たしています」(前出・スポーツ紙記者)
今回のカナダ渡航には特別な意味が込められていたようだ。
「クラブにきちんとお別れの挨拶をすることが目的だったようです」(前出・スポーツ紙記者)
■スケートのためだけの日々と過ごしたトロント
練習拠点として、17歳から25歳までの約7年半を過ごしたトロントは、羽生にとっていわば“第二の故郷”。カナダ最大の都市で、市内から2時間ほど行けば有名なナイアガラの滝もあるが、羽生にとってトロントは、“スケートのための場所”だったようだ。
「彼がカナダに渡ってけっこうたった時期のことでしたが、『ナイアガラの滝を見に行ったことがない』と話していたことがあります。スケートのことで頭がいっぱいで、観光なんかには興味がなかったんでしょう」(フィギュア関係者)
羽生は自叙伝『蒼い炎II』(扶桑社)のなかでこう話している。
《トロントでは基本的に『全部がスケートのため』という感覚があるんです》
前出のスポーツ紙記者によると、
「涼しい気候や、空気がきれいでリスや小鳥がたくさんいる自然豊かな環境は気に入っていたようです。ただ、トロントにいるときは、自宅とリンクの往復の日々を送るだけ。朝は遅めに起きて、お昼ごろから練習。そのあと、当時は大学生だったので大学の課題をしたり、気分転換にゲームをしたりして、それから寝るという毎日。食事は一緒にカナダに渡った母親が作ってくれていました。
クラブの仲間から外食や遊びに誘われることがあっても、羽生さんはほとんど断っていたようです。オーサーコーチも“ユヅルにもっと人生を楽しんでほしい”とぼやくほどのストイックさでした」
羽生がクリケット・クラブを選んだ理由は、刺激を与えてくれる同世代のライバル選手がいたこと、そしてブライアン・オーサー氏がいたことが決め手だった。
「オーサーはバンクーバー五輪の女子金メダリストであるキム・ヨナを育てた名コーチです。怒ることもほとんどない優しい穏やかな人柄で、羽生さんは、“オーサーは選手の精神面のコントロールがすごく上手だ”と話していました。緊張しているときは笑わせてくれ、集中していないときは活を入れてくれる。技術面だけでなくそういった部分も、ありがたく感じていたようです」(前出・フィギュア関係者)
ただ、ときには衝突することも。
「オーサーが“こうしたら勝てる”と提案すれば、羽生さんは“いや僕はこうしたい”と主張し、意見が食い違うことも。ぶつかったり歩み寄ったりを繰り返しながらの日々だったのです」(前出・フィギュア関係者)