■永瀬「紫耀に嫉妬してたんやと思う」
「2人は“しょうれんコンビ”としてJr.のなかでもトップクラスの人気を誇り、東京での仕事も次々に舞い込みました。
しかしコンビとして扱われるうちに、永瀬さんはダンスも演技も器用にこなす平野さんに強いライバル意識を持つようになったそうです」(前出・芸能関係者)
当時のことを永瀬はこう振り返っている。
《俺は紫耀みたいに器用やないから正直うらやましかったし、悔しかった。勝手に悩んで紫耀とうまく話せなくなった時期もあった。たぶん、紫耀に嫉妬してたんやと思う》(『ポポロ』18年1月号)
いっぽうの平野も対抗心を刺激されていて……。
「永瀬さんを意識するあまり、平野さんは仕事以外で話しかけることはなくなっていました。気まずそうな雰囲気は周囲にも伝わってくるほど。雑誌の撮影で『手をつないで』とポーズの指示を受けても、平野さんと永瀬さんはそれを躊躇することもあったようです。
当時から一緒に活動していた髙橋海人さん(24)は2人から別々に相談を受け、間を取り持つこともあったそうです」(前出・芸能関係者)
『Myojo』22年7月号のインタビューで平野は当時の心境を明かしている。
《廉がガラッと人が変わったように感じちゃっていたんですよね。話す回数が一時期減って。 今は普通に話しますけど、あのころは“なんだこいつ”って思ってしまっている自分がいて》
2人の間にできた溝にはファンも気づいていたという。
「テレビ番組などでも“しょうれんの目が合わない!”とたびたび話題になっていました。ファンの間では“氷河期”と呼ばれ、2人の仲はいつも気がかりでした」(ファンの女性)
ようやく“雪解け”を迎えたのは17年ごろだった。