市川猿之助「泥を塗った」と香川照之の性加害事件に激怒…悲劇の裏で抱えていた一門の重圧
画像を見る 昨年4月、歌舞伎座の楽屋口から出てくる猿之助

 

■《これからどうやって生活したらいいか》

 

猿之助の屋号は澤瀉屋。三代目猿之助だった二代目市川猿翁(83)が’86年、歌舞伎に最新技術や現代音楽を取り入れ、宙乗りなどの演出で魅せる「スーパー歌舞伎」を創始。歌舞伎界に新たな歴史を刻むこととなった。

 

「澤瀉屋は学業優先でも知られます。段四郎さんは高校生の猿之助さんに『大学に行くのなら、絶対に卒業しなさい。稽古を理由に学校を休んではいけない。二莵を追う者は一莵も得られない』と言い聞かせてきました。その結果、猿之助さんは慶應義塾大学文学部に合格。きちんと卒業もしています」(後援会関係者)

 

’12年、伯父・猿翁から四代目猿之助を襲名。その芸を「スーパー歌舞伎II」として発展させ人気者となった猿之助だが、このころから父・段四郎さんは体調不良に悩まされるようになったという。

 

「段四郎さんは10年くらい前から体が言うことを聞かなくなったそうで、’15年のスーパー歌舞伎II『ワンピース』での親子共演が最後の舞台となりました。段四郎さんを妻・延子さんが老老介護する生活になっていました。特に最近の段四郎さんは寝たきり状態だったとも聞いています。そのため、猿之助さんは金銭面に加え多忙の合間を縫って両親のサポートにも最大限努めていたといいます」(前出・後援会関係者)

 

父が表舞台から去り、澤瀉屋を一身に背負った猿之助を襲ったのが、コロナ禍だった。 途切れたことのなかった歌舞伎の舞台に立てない事態に直面することとなった。2年前のインタビューでこう振り返っている。

 

《僕も、これからどうやって生活していこうかと悩みましたからね。働く場所がないんだから切実ですよ。ようは失業者。それでもお弟子さんを食べさせなくてはいけない。蔵書や絵を売ったらいくらになるかなって本気で考えました》(『婦人公論』’21年1月26日号)

 

次ページ >猿之助一家の悲劇を聞いた香川は嗚咽

【関連画像】

関連カテゴリー: