市川猿之助「泥を塗った」と香川照之の性加害事件に激怒…悲劇の裏で抱えていた一門の重圧
画像を見る 12年、猿之助を襲名した際の澤瀉屋の集合写真

 

■猿之助一家の悲劇を聞いた香川は嗚咽

 

そこへ追い打ちをかけたのが、’22年8月に発覚した猿之助のいとこ、香川照之(57)の性加害事件だった。

 

「父・猿翁さんとの恩讐を越えて、香川さんは’12年に市川中車として歌舞伎デビュー。猿之助さんと香川さんとの間では、香川さんの息子(團子)が五代目として猿之助を継ぐことで話がまとまっているといわれています。そのため、銀座のホステスへの性加害行為が発覚した香川さんに対し、猿之助さんは“澤瀉屋に泥を塗った”として怒り心頭でした。

 

その一方で、活動を自粛した香川さんがそのまま芸能界を引退することは避けるべく、猿之助さんは奔走。昨年12月、團十郎さんの力を借りて、再び香川さんは歌舞伎座の舞台に立つことになったのです」(前出・後援会関係者)

 

本来なら今年の6月、猿之助と香川は歌舞伎座で共演する予定だった。事件4日前のスポーツ紙のインタビューで、猿之助は熱く語っていた。

 

《言えるのは2人(中車と團子)とも、まだまだ経験不足ということです。歌舞伎は何より場数を踏むことが大事。(略)厳しい言い方に聞こえるだろうけど、早く使いものになってほしい》

《世間も社会も混乱した移り気な現実の中で、歌舞伎がどうすれば生き残っていけるかを考えなければならないんです》(『スポーツ報知』5月14日付)

 

澤瀉屋のすべての重責を担う、猿之助の強い覚悟がうかがえる。前出の後援会関係者は続ける。

 

「猿之助さん一家の悲劇を聞いた香川さんは嗚咽したそうです。“なぜ相談してくれなかったのか”と……。もはや“澤瀉屋は呪われている”と言う梨園関係者もいます」

 

猿之助が出演中だった明治座創業百五十周年記念公演歌舞伎スペクタクル『不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―』で彼が演じていたのは平知盛だった。歌舞伎関係者は言う。

 

「今回の報道を聞いて、梨園の人たちの多くは、物語との奇妙なつながりを感じました。 今作の平知盛は壇ノ浦の合戦で落命寸前で助けられた後、大陸に渡り、生き抜いていきます。しかし、ラストでは自ら死を選ぼうとして実際に散ってしまうのです。猿之助さんもほかの選択肢があったはず。親の介護や、澤瀉屋の呪縛で心身ともに疲弊してしまったことで、ひょっとしたら現実と物語の境界線が薄れてしまっていたのかもしれません」

 

かつて猿之助は、父との対談で、こんな感謝を述べて、決意表明していた。

 

《無理に稽古を押しつけられなかったし、そのおかげで私も自然に歌舞伎が好きになれた。今では歌舞伎が私の生きる道だと思っています。(略)澤瀉屋を盛り上げていきたい。次世代につながるように若い私たちが努力する。それが親孝行だと思っています》(『サンデー毎日』’00年6月18日号)

 

警視庁は事件当時の状況を詳しく調べるとともに、猿之助からさらなる事情を聴く予定だ。自宅の家宅捜索ではすでに数台のスマートフォンが押収されたという。今後、彼の口から、どんな真実が語られるのだろうか――。

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