田中美佐子 水面下で進めていた「格下夫」切り…離婚前から別居、コロナ禍で収入格差も決定的に
画像を見る 1995年11月、入籍会見で仲睦まじい田中と深沢

 

■離婚後の深沢に待つ暗い見通し

 

こうして妻子の元を離れることになった深沢だが、生活の見通しは明るくないようだ。

 

「深沢さんと東貴博さんのTake2といえば、お笑いコンビのなかでも3本の指にはいるくらいの“不仲”で有名。2人での仕事はほとんどありませんし、深沢さんは唯一のレギュラー番組『噂の!東京マガジン』(BS-TBS)が21年からBSに格下げされ、ギャラも減ってしまいました。

 

また、’20年から始めたYouTubeは登録者数が1千人をわずかに超えた程度。趣味の登山や剣道に関する動画を基本的に毎日アップしていますが、再生回数100回にも達しないことが多く、芸能人としては壊滅的でしょう」(テレビ局関係者)

 

近年バラエティにも活躍の場を広げる田中との“夫婦格差”はさらに広がっていたのだ。

 

「姉御肌の田中さんはこれまで責任感から深沢さんを支えてきましたが、還暦を迎え、人生を考え直すようになったそうです。コロナ禍で仕事の減った深沢さんと口論になることも増え、“死ぬまで大黒柱なんてイヤ”と思ってしまったのでしょう。

 

田中さんは’20年にお兄さんをアルコール依存症で亡くしていて、そのことも少なからず影響しているようです」(田中の知人)

 

一方の深沢の知人も語る。

 

「長年、女優・田中美佐子が自由に動けるようにと仕える気持ちだったそうですが、近年、仕事が減ったうえに親の介護も始まり、心が折れてしまったそうです」

 

「自分の人生が始まるのは60歳から」と題した『美ST』(20年12月号)のインタビューでは、田中がこんな思いをもらしていた。

 

《私たち夫婦は、40代50代は一緒に子育てをして駆け抜けてきました。これからはそれぞれが自分の人生を生きながら、共に寄り添い生きていく夫婦のカタチに変わるのではないかと思っています》

 

しかし、このころからすでに田中は寄り添い生きていくことをあきらめていたようだ。彼女の人生のTake2を応援したい。

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