■フランス語が堪能な猿之助に信頼を――
眞秀くんは5月、歌舞伎座で「初代尾上眞秀」として初舞台を踏んでいる。前出の歌舞伎関係者は言う。
「梨園内では寺島さんの弟・菊之助さんが菊五郎を継ぎ、その後は菊之助さんの息子・丑之助くんが菊五郎を襲名するのが筋といわれています。
ですが、寺島さんには『私は菊之助より先に生まれたのに、なぜ息子の眞秀が菊五郎を襲名できないのか』という不満があるのです。猿之助さんも『スーパー歌舞伎』で従来の歌舞伎像を変え、多数のお客さんを新たに呼び込みました。寺島さんと猿之助さんは“歌舞伎界は因習を打破し、実力で評価されるべき”という改革精神を持っていた戦友でもあったのです」
寺島が猿之助容疑者を信頼していた理由はほかにもあったようだ。
「寺島さんは将来、パリのオペラ座で眞秀くんの襲名披露興行をやりたいと心から願っています。その傍らに猿之助さんに並んでほしいと考えていたそうです。というのも、猿之助さんはフランス語が堪能。’07年、亀治郎時代にパリのオペラ座で開かれた歌舞伎公演の口上では、流暢なフランス語で観客を驚かせていました。“今後の歌舞伎界を、猿之助さんとともに盛り上げていきたい”と思っていただけに大きなショックを受けていたのです」(前出・知人)
だが、寺島はすでに前を見据えているという。
「いまはまず、10月の公演を成功させるべく、必死に稽古に励んでいます。『もう猿之助さんには頼れないから失敗は許されない』という覚悟もあるのでしょう。寺島さんは梨園を変えていくために、まず自らが体を張って認められることで、眞秀くんの新たな道を切り開こうと思っているのです」(前出・歌舞伎関係者)
先のブログで、寺島はこう綴っていた。
《50歳の挑戦として好きなことを好きな人とやる!というものを自分の中で掲げておりまして、そんな矢先お話を頂いたのがこの“文七元結”でした》
寺島の挑戦は、伝統を重んじる歌舞伎界への挑戦でもあった――。