■「撮影の合間に剣術の指導を」
アクション俳優を夢見ていた若山容疑者は岡田から剣術の指導を受けたこともーー。`14年4月に発行されたファッション誌『SEVENTEEN』のインタビューでこう明かしていた。
《撮影の合間に岡田さんから剣術を教えてもらっています。技をうけてビビっちゃったこともあるんですけど、“前よりだいぶうまくなったな”って岡田さんに言われるようになりました!》
岡田と“父子の契り”を結び、鍛えられた若山容疑者は、将来を嘱望される天才子役であった。
「『軍師官兵衛』で注目を集め、地元では有名な男の子でした。その後すぐに、出身地である岐阜県美濃加茂市の“もっとみのかも夢大使”に選ばれました。
また大河ドラマの舞台となった姫路市のイベントにもひっぱりだこで、’15年にお祭りのパレードに特別ゲストとして呼ばれ、握手攻めにあうことも。`16年には映画の主演を務めました」(芸能関係者)
超人気子役であった彼が、なぜ転落してしまったのだろうか。
「’17年の4月に家族とともに東京へ引っ越して以降、次第に俳優の仕事を減らしていきました。もともと母親の意向で芸能界に入ったこともあり、芸能界への思いは薄れていったそうです。そして’20年1月の舞台『黄昏』への出演を最後に、芸能界を去りました」
上京後も続けていた“もっとみのかも夢大使”も、「芸能界を引退するため、大使を辞めたい」という連絡があり、’20年5月に解嘱となっている。
芸能界を離れつつあった時期になにをしていたのか――。
「幼少期からサッカーが得意で、小学校の卒業文集には、“サッカー選手になりたい”と夢をつづり、芸能活動で多忙を極めていた時期もクラブチームに所属して、プレーを続けていました。高校1年生だった’19年に日本サッカー協会が作成した大会の公式パンフレットで、あるJリーグのクラブの下部組織に同姓同名で生年月日が一致する人物が所属していたことが確認できます。入団するのにも選抜試験に合格することが必要なチームでした。
とはいえ、レギュラーではなかったみたいですね。芸能活動を制限し、サッカーに励むも、結局プロにはなれないと悟ったことでしょう。幼少期から注目の的だった若山容疑者ですが、挫折を経験したのでは……」(サッカー関係者)
次第に道を逸れていくにつれて風貌に変化がーー。
「金髪に染めてピアスをあけ、タトゥーも入れて、ワイルドな風貌になっていきました。’23年の8月に20歳になってからは頻繁に渋谷のクラブに通うように。’24年1月、岐阜県に帰って成人式に出席しましたが、中学2年生で上京しているため、友達が少なく、すぐに帰ってしまったそうです」(前出・芸能関係者)
’24年4月、若山容疑者はYouTuberによるインタビュー動画に出演して、好きな言葉を聞かれ、「お金」と語り、さらに「結局世の中、顔とお金かな」と持論を展開。その約一カ月後に今回の事件を起こした。
“父”である岡田も「なぜ堕ちた?」と嘆いているはずだ。