「もう1年俺は生きる」西田敏行さん 急逝2カ月前の金婚式で見せていた糟糠妻への“覚悟”
画像を見る 10月8日、劇場版『ドクターX』の完成報告記者会見に出席していた西田さん

 

■家庭の幸せがもたらした“演技の幅”

 

西田さんによれば、

 

《たまに、僕が『つるしの服ばかりじゃなく、オートクチュールかなにかでいい服作っていいよ』なんていうでしょ。すると首を振って、「それよりバーゲンですばらしい掘り出しものを見つけたほうがいい。そのほうが端からいいものを買うより喜びが大きい」なんて訳のわからないことをいってますよ。(中略)

 

だからかな、僕もがむしゃらに金を稼ごうという気にならない。「時間をかけて、ギャラは少ないけれど、この作品に参加していきたいな」という気分にさせてくれる家族ですね、うちの女房も娘たちも。そういう家庭があるってことが、幸せなのかもしれない》(『SOPHIA』’88年2月号)

 

’76年に長女、’79年に次女が誕生した西田家。2人の娘たちがまだ小さかったころ、夫婦の間でこんな会話があったという。

 

「西田さんは寿子さんに『育児が一段落したら女優に戻ってもいいんだよ』と言ったそうです。西田さんとしては、寿子さんに女優の夢を諦めさせてしまったのではないかという思いがあったのでしょう。

 

しかし彼女は、その申し出をキッパリと断ったそうです。西田さんの役者としての才能にほれ込んでいた寿子さんは、自分の夢を捨ててでも支える覚悟が固まっていたようです」(西田夫妻の知人)

 

“日常性のなかにひそむ狂気を表現できる役者”になることを目標に掲げていた西田さん。

 

しかし妻や娘たちが与えてくれた幸せな家庭により、演技の幅はどんどん広がり、後輩たちにも慕われるようになっていった。

 

’79年放送のドラマ『幸せの陽だまり』(NHK)で西田さんと共演した俳優・水野哲(60)はこう振り返る。

 

「西田さんは妻子がありながら愛人と暮らしている作家の役で、私はその息子役でした。親子の交流がテーマの作品でしたので、いろいろなお話を伺いました。

 

『これはね、息子とオヤジの話なんだけれど、もしオヤジが悪い人だったら息子はイヤだろ? でもオヤジは息子が好きで好きでしょうがないんだ』なんてコミュニケーションをとりながら、いっしょに役を作っていくというスタイルだったと思います。

 

俳優としてはすごい努力家なのですが、現場では明るくて。あいさつも『おっ、元気かい哲。今日はこのシーンだからな。僕にできるかな?』といった感じでしたので、リラックスできました。

 

西田さんはロックがお好きだそうで、特にエルビス・プレスリーのファンでした。一時期もみあげを伸ばしていましたが、あれもプレスリーの影響だったそうです」

 

西田さんが俳優として評価されるにつれて“貧しさとの闘い”を脱した寿子さんを次に待っていたのは“病気との闘い”だった。

 

’03年に心筋梗塞で緊急入院。生死の境をさまよったがICUで意識が戻ったときには、寿子さんと娘たちが手を握っていたという。1日100本もたばこを吸うヘビースモーカーだったが、それを機に禁煙した。

 

「それでもお酒はやめなかったそうですが、寿子さんから『あなただけの命じゃないんだから』と、説得されて、断酒に挑戦したこともあったそうです」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

 

常に西田さんの健康を案じ、入院となれば献身的に看病することが寿子さんの“使命”となっていた。’16年6月、胆のう摘出手術後に首にコルセットを着けた西田さんの乗る車いすを押している寿子さんの姿を本誌は目撃している。その行く先は病院のリハビリ室だった……。

 

「’19年に19年間出演してきた『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)を卒業したことで、芸能界で西田さんの“引退説”までささやかれるようになったのです」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

 

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