■「好き勝手に家を飛びだしたオレの決めることじゃないもの」
その後、火野さんは”本命”となる女性・Kさんと出会い同棲を開始。‘83年4月、本誌がKさんとの間にできた子どもについて尋ねると火野さんは照れ臭そうにインタビューに応じた。
「いまの気持ちは”ますます金を稼がなきゃ”っていう心境だなあ」
さらに、Kさんとの今後についてはこのように語っていた。
「離婚がはっきりすりゃ、結婚しようと思ってますよ。ただし、それは女房が決めることでね。好き勝手に家を飛びだしたオレの決めることじゃないもの」
だがその後も、本妻との離婚は成立しなかったようだ。約33年後、’16年のインタビューでこのように語っている。
《3年ぐらい前、酒飲んだ時に今の母ちゃんがこんなこと言ったよ。「お父さん、籍さ……」。でもそれ以来また言わないしな。(中略)家族になるって籍を入れることを言うんだったら、前の母ちゃんと籍を抜いて今の母ちゃんを入れてやりたいけども、前の母ちゃんの立場もあるだろうし。だから俺から言うこともないかなと》(『週刊現代』2016年2月20日号)
勝手に家を飛び出した自分には、”離婚”の主導権はないと思い続けていたようだ。一方、火野さんと別居状態だった本妻は、’74年、本誌の取材に対しこう優しい思いを漏らしていた。
「あの人は可哀そうな人なんです。帰るところ行ったらここしかないんですから。もし、その人と別れて帰るところがなかったら可哀そうでしょう」
本妻もそんな思いから、積極的に離婚をしようとはしなかったのかもしれない。
人生の中で多くの愛と葛藤を経験した火野さん。火野さんの人生は、愛とは何か、家族とは何かを問い続けるものだったのかもしれない。