2018年から6年ほどのテレビが映し出した芸能・メディア・政治・世相を観察した新刊『テレビ磁石』(光文社)を今秋に刊行。発売即重版がかかるヒットとなった最新時評集も話題のライター・武田砂鉄さんが、´24年に世を騒がせたニュースや人を振り返り。今、テレビが問われている「メディアの力」について考察します。
■とにかく大谷ばかり
少し前、あるテレビ番組のプロデューサーに「大谷翔平のホームランって、あれだけ繰り返し流しても視聴率いいんですか?」と聞いた。その人は、さすがに他にも報じるべきことがあると考えている人だったので、半ば呆れながらも、即座に「いい。何度やってもいい」と返してきた。ワイドショー番組のスタジオでその模様を伝えるアナウンサーは大変だ。なんたって、このホームラン映像を観るのが初めてであるかのように、毎度それなりに興奮しなければならない。でも、それって、アナウンス技術と言えるのかどうか。
今秋、『女性自身』で長らく連載してきた『テレビ磁石』がようやく1冊にまとまったのだが、毎週送られてくる『女性自身』を読んでいても、とにかく「大谷依存」が甚だしい。挙げ句の果てには、大谷が出塁時に見せるキメポーズを真似すれば寝たきりが防げるといった記事まで掲載されており、ここまできたかと、呆れを飛び越えて興奮さえしてしまった。一応、「あのポーズいいらしいよ」と親に伝えておいた。実に従順な読者である。
とにかく大谷、何がなんでも大谷、雨で試合が中止になっても大谷、シーズンが終わっても大谷。この依存っぷりから考えると、大谷に「ところで日本のみなさん、他に報じるべき話題があるのではないですか?」と言ってもらうしか打開策はないのもしれない。大谷の近くにいる人・動物・モノもこぞって注目される。今年の初めくらいまでは、いつも一緒にいる通訳との仲良しこよしが微笑ましく扱われていたが、こうして年末を迎えてみると、「この1年、色々あったよね」という万人に共通する感想さえ、大谷を通すとより実感できる状態となった。
■政治家が逃げ続けた
1年間、日々のポジティブなニュースを大谷が背負い、ネガティブなニュースを複数の政治家が作り出し続けた。自民党の裏金問題が発覚したのは今から1年前。岸田文雄は事あるごとに「信頼回復」と繰り返したが、自身が自民党総裁選に出馬しないと宣言した会見で「自民党の信頼回復のためには身を引かなければいけない」と述べ、新たに首相になった石破茂も所信表明演説で「国民の皆様からの信頼を取り戻す」と宣言した。つまり、ずっと言っている。信頼回復とずっと言って、ずっと回復できずにいる。宿題は明日からやります、暴飲暴食は今日まで、連続三振はホームランの兆し、そんな感じの態度がひたすら続き、どうすればうやむやにできるのかに心血を注いだ。結果を先送りにする政治と、結果をすぐに出す大谷が対照的だった。
東京都知事選挙、衆議院選挙、兵庫県知事選挙では、それぞれSNSの活用が上手かった候補者や政党が結果を残したと総括されたが、さすがにそれだけでは解像度が粗すぎる。そのそれぞれにおいて、実はいわゆる「オールドメディア」と呼ばれるテレビをしっかり活用していたし、そもそも誹謗中傷やデマが放置された実態を「使い方が上手かった」でまとめるのは危うい話だ。
裏金問題で謝罪した議員の一人である宮澤博行が「とにかく出直すつもりで」と言いながら、天竜川に入って、裸にふんどしで大寒みそぎをしたのは今年1月20日のこと。彼は女性問題(というかオマエの問題)が発覚して辞職、衆議院選挙に立候補するも落選したが、裏金議員に共通していたのは、できるだけ素早く「みそぎを済ませた」状態を手に入れたがる姿勢で、さすがにその露骨な姿勢がバレているので、「どうしたら済ませたことになるのか」と右往左往する姿をしっかりと晒した。で、そんなこんなで1年が経ってしまった。
■松本人志の不十分な弁明
2018年から24年までの連載を厳選した単行本『テレビ磁石』では、複数回、松本人志について言及しており、刊行記念イベントに来た読者や取材時のインタビュアーから「早い時期から彼について言及していましたね」などと言われたのだが、自分が記していたのは例の問題ではない。
拘束されていたジャーナリストがようやく解放された際に「個人的にたまたま道で会ったら、ちょっとは文句は言いたいと思いますね」と言ってみたり、通り魔殺傷事件が起きた後、犯人を「不良品」とした上で、こういう人たちは絶対数出てくるので「もう、その人達同士でやり合ってほしい」などと発言したり、つまり、自分はぶっちゃけたこと言ってますけど、みなさんもそう思ってますやろと、こちらの「本音」を勝手に想定した上で不適切な発言を重ねてきたことを問題視していた。ワイドショーに出て、それぞれ考察するのではなく、勢いよくぶっちゃけた発言をするほうがウケるというのは、芸人に限らず共通している。そして、「オールド」だろうが、「ニュー」だろうが、あらゆるメディアに共通する姿勢になってしまった。
松本が、性加害疑惑を報じた『週刊文春』に対して起こした裁判、名誉を傷つけられたとして5億円超の賠償を求めた訴訟を取り下げたが、それにあわせて発表された松本のコメントには「参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます」とあった。「いらっしゃったのであれば」と仮定にとどめたのに対し、「長年支えていただいたファンの皆様、関係者の皆様、多くの後輩芸人の皆さん」については、「多大なご迷惑、ご心配をおかけしたことをお詫びいたします」と続けた。誰に詫びたいか、詫びたくないかがハッキリわかる。この逃げの姿勢のまま復帰などあり得ない。
■万博をキチンと批判できるか
ユーキャン新語・流行語大賞には「ふてほど」(ドラマ『不適切にもほどがある!』)が選ばれたが、主演の阿部サダヲが否定していたように、実際に「ふてほど」を連呼していた人はいない。トップテンに選ばれた時点での選考理由として、「大手自動車メーカーの認証不正、パーティー券収入の収支報告書不記載など、2024年は不適切事案が目白押しであった」1年の中で、「時代がいつであれ、不適切なことは不適切なのだと教えてくれる」のがこのドラマだったと。えっ、そんなドラマだったっけ、と首を傾げながらも、その理由は「10月に行われた衆議院選挙、自民党の選挙公約が『ルールを守る』。国権の最高機関で法律を制定するセンセイ方の公約がこれ。不適切にもほどがありませんか?」と結ばれる。確かに不適切にもほどがあると思う。
今年、自分が投稿したXの中でもっとも拡散されたのが、「有名な人が亡くなったのを『街の人』に速報で伝えて、驚いた様子を映すのやめてほしい」というものだった。これ、今年に限らず、ずっと言っている。不謹慎かつ不適切。みんなで一緒に動揺しよう、悲しもうという要らぬ連帯感があの映像を生み続けているのかもしれないが、ただただ不要である。テレビがメディアとしての自信を失う中で、なんとかみんなで一緒になろうと試みるアプローチの一環なのだろうが、もうちょっと自分たちの声ってものをハッキリと持って欲しい。
来年4月からは大阪・関西万博が始まる。チケットがちっとも売れず、湯水のごとく公金を注いだ結果として開催費が膨れ上がり、会場でガス爆発まで起きたのに、それでも開き直って、ここから機運醸成できると意気込んでいる。始まってしまうとなんだかんだで肯定し始めるのが、とりわけテレビメディアの悪い癖だが、この大失敗企画とキチンと向き合えるかどうか、今回の万博は、「オールド」などと軽く扱われているメディアの力、跳ね返す基本的な力が問われているのではないか。
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