■「ほかでは見られない彼の優しく温かい面を」
そうして、木村が50歳を超え、山田監督との“再タッグ”が実現した。前出のラインナップ発表会で、山田監督は木村の起用にあたり、「彼のほかの作品ではあまり見ることができないような、彼の優しくて温かい面を盗み撮りたい。タクシー運転手という平凡な一人の男になったときに、彼がふだん人に見せないような姿がふっと見られたら素敵だと思う」と意気込んでいた。
山田監督の真意とはーー。前出の芸能関係者が推察する。
「12月から1月にかけて、木村さんは12月公開の主演映画『グランメゾン・パリ』の宣伝のため、バラエティ番組に複数出演しましたが、山田監督は何本も見たそうです。そして、一般人と会話する“素”の木村さんを絶賛していました。
スター・木村拓哉ではない木村さんを撮りたいということなのではないでしょうか。
山田監督は今を先行きの知れない、とてもつらい時代だと言います。『こんな時代だからこそ、軽やかに楽しく見ることができる映画を作れれば』と言っていました」
『武士の一分』を撮影していた当時、木村は30代前半で国民的スターであった。
「デビュー当初のSMAPは特別人気があったわけではありません。少年隊や光GENJIはデビュー曲で、オリコンチャート初登場1位を獲得しましたが、SMAPは2位。歌やダンスのクオリティも、劣っていました。
そんな状況で、SMAPが嘲笑されたときには、『俺のことをバカにするのは構わないけど、SMAPのことをバカにしたら絶対に許さねえ!』と激怒。それほどSMAPに懸けていたのでしょう。
木村さんはドラマの現場でがむしゃらに努力し、’93年のドラマ『あすなろ白書』(フジテレビ系)で注目を集め、SMAPをブレークに導き、自身もスターになりました」(前出・芸能関係者)
大切に守ってきたSMAPは’16年に解散。そして、1月23日には元メンバーの中居正広(52)が一部週刊誌で報じられた女性トラブルにより芸能界を引退した。
「若くしてスターになった木村さんですが、その一方でたくさんの苦労をしているため、人の痛みがわかる優しさがあります。
数々のスターたちを撮ってきた山田監督はそのことがわかっているに違いありません。
『TOKYOタクシー』では50歳を超えて円熟味の増した木村さんの全てをぶつけてほしいと考えているのではないでしょうか」
“憤懣も悲哀もさらけ出す”心意気で木村は約束の映画に挑む。
