■コンサート当日に最愛の母親が急逝、弟はショックで記憶喪失に
そんななか’10年5月16日に、最愛の母親との別れが突然訪れる――。青森でのコンサート直前に、ツトムさんから母親が虚血性心疾患で突然倒れたとの連絡が入ったのだ。
母親はそのまま息を引き取り、死に目には会えなかった横山。奇しくも当日のコンサートでは、大好きな母親を思って歌詞を書いた楽曲『オニギシ』がセットリストに入っていた。さらに母親が亡くなったショックでツトムさんが倒れ、記憶喪失になってしまったことも。横山はその後、弟たちと生活しながら母親の代わりに2人の成長を見届けてきたという。
そして月日が流れ、迎えたツトムさんの結婚式。横山はミツルさんとともに披露宴でのサプライズを計画し、仕事の合間を縫って3カ月間トランペットを練習。最愛の弟の門出に、福山雅治(55)の楽曲『家族になろうよ』を演奏したのだった。演奏の直前にはツトムさんから感謝の手紙を読み上げられ、涙腺が崩壊していたという横山。当時の演奏を収めた実際の映像が流れると、「むちゃくちゃ泣いてたな、この時」と回想していた。
「中学卒業後、建設会社で働きながら芸能活動をしていた横山さんは、昨年末に出演したバラエティ番組でも『テレビ局までニッカポッカで行って、めっちゃ怒られたことあります』と明かしていました。またデビュー後に母親が再婚相手である義父と離婚したそうで、いっそう“自分が弟たちを支えないといけない”との気持ちが強まったといいます。
VTRでも母親が亡くなった後は弟たちと生活していたと紹介されていましたが、横山さんは過去のインタビューでも“弟たちの面倒を見続けていた”と語っていました。二男のツトムさんは高校卒業後に就職し、三男のミツルさんは税理士に。大学費用は横山さんが全額出してあげたそうです。また横山さん自身も’15年に番組企画で高卒認定試験にチャレンジし、猛勉強をして一発合格を決めていました。まさに、“努力の人”といえるでしょう」(芸能関係者)
