■『世界中の誰よりきっと』の作詞も手掛けて
その長男が相続放棄となると、相続の行方はどうなるのだろうか。レイ法律事務所の河西邦剛弁護士はこう語る。
「中山美穂さんの場合、相続人である長男が相続放棄したとすると、母親がすべて相続することになります」
葬儀には美穂さんの母親も出席して泣き崩れていたというが、前出の知人は続ける。
「美穂さんも忍さんも、お母さんとは長らく疎遠な関係にあったと聞いています」(前出の知人)
美穂さんの著書『なぜなら やさしいまちが あったから』によれば、実母は忍を出産後、実父と別れて、姉妹は一時期、親戚や祖母の家などに預けられていたという。
「母親の苦労を知る美穂さんは“家を建ててあげたい”と決意し芸能界入り。’88年には母親が代表取締役を務める個人会社を設立して、収入の管理を母親に一任していました。しかし、’02年に美穂さんが結婚してパリへ移住するころには、姉妹と母親の関係にヒビが入り始めていたようです。
個人会社の残金が少なくなっていることを知った美穂さんは自らの資金管理を母親に任せることをやめ、’12年に個人会社を閉鎖。美穂さんが代表取締役を務め、忍さんが役員を務める新会社に合併しました。それ以来、姉妹と母親とは断絶関係にあったといいます」(前出の知人)
確執のあった母親へ渡る遺産はどれほどになるのだろうか。
「帰国後、美穂さんは知人が所有する都内のマンションで暮らしていました。彼女は不動産投資に興味がなく、土地などの固定資産はほとんどありません。多少の預貯金と宝石や時計などの貴金属、洋服などでしょう」(前出の知人)
忍は美穂さんの衣裳をとても大事にしていたという。
「遺品整理の際、美穂さんが気に入っていた衣裳の数々を忍さんは涙ぐみながら片づけていたそうです。ステージ上やプライベートの美穂さんの姿がそのつど目に浮かび、やるせない思いがあふれてきたようです。ドラマ『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系)に忍さんが代役出演した際も、美穂さんが実際に着ていたエプロンやメガネをそのまま使っていました。“姉の温もりを感じたい”と……」(前出・音楽関係者)
4月に都内でおこなわれた「お別れの会」の会場には、コンサートやテレビ番組などで着た衣裳13着が飾られていた。さらに、彼女の遺産はそれだけではない。
「相続において、中山さんが手がけた作詞作曲といった楽曲の権利なども、原則として母親が受け継ぐことになるでしょう」(前出・河西弁護士)
美穂さんは歌うだけでなく、数多くの作詞も担当していた。代表曲『世界中の誰よりきっと』の作詞もWANDS初代ボーカルの上杉昇(53)とともに手掛けている。前出の音楽関係者は言う。
「年間の収入は数百万円ほどにはなるでしょう。過去に母親との間で金銭トラブルが生じたこともあり、忍さんも複雑な気持ちのようです」
お別れの会で、忍は最後に涙を拭いながらこう語っていた。
「情けない話なんですが、今のほうが泣いてしまうんです。これが夢だったらよかったのになと心から思います。妹たってのお願いです。姉のことが大好きだったので、どうかいつまでも姉のことを覚えていてください」
確執のあった母親に、美穂さんの“魂込めた遺品”もすべて渡っていくーー。その過酷すぎる現実に、忍はいまも苦悩しているに違いない。
