■「歩くこと自体が大変な状況だった」
Aさんにとって深く記憶に残ったのが、遠野さんが賀来千香子(63)や永島敏行(68)と共演した21年の舞台『しあわせの雨傘』公演当時の彼女の体調異変だった。
「遠野さんは永島さんとは昔から親しく、プライベートのことも相談していたと聞いたことがあります。“お兄ちゃん”と呼んでいましたね。
実はそのころからすでに彼女の体調はすぐれませんでした。足が変形していて、歩くこと自体が大変な状況だったのです」
彼女は20年ごろから足根管症候群の持病を抱えていたという。足根管症候群とは、何らかの原因で足根管内に存在する脛骨神経が圧迫されて、足底部の痛みやしびれを引き起こす病気だ。医療ジャーナリストは言う。
「一般的には足首の捻挫など外傷や動脈硬化した血管などの圧迫によって発症するといわれています。普通に歩いていても“砂利の上を歩いているようなジンジンする感覚”がある神経痛的な症状が特徴で、運動時だけでなく夜中に痛みが発生することもあります」
遠野さんはこの病気をひた隠しにしていたというのだ。
「“現場で気を使われるのが嫌だ”と言っていました。足がとてもむくんでいましたね。くるぶしというか、足首が見えないんです。はく靴もかなり大きめでした。
僕が担当したときにスタイリストさんを変更したのですが、日常生活がつらかったのではないかと思います。撮影では足首まで隠れるロングスカートやパンツを着用していましたね。
お酒の飲みすぎも原因ではないかなと思っています。通院されていたのは知っていましたが、本人は“とにかく大丈夫だから”と。彼女は幼少期から何かにつけて母親に怒られて育ってきたので、弱音は絶対に吐かないと考えていたのかもしれません。内心ではどんなにしんどくとも役者として本番は素晴らしい演技を決める。近年ではバラエティの印象が強いかもしれませんが。彼女は本物の役者でした」(前出・Aさん)
遠野さんは’13年、著書『一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ』を出版した際、本誌の取材で涙ながらに実母への思いを打ち明けていた。
「母の罪は重いです。産めばいいというもんじゃない。小学生のときはよく顔を叩かれて、青い洗面器を渡されて、鼻血がボタボタ落ちるのを泣きながら見ているしかなくて。
私が太って悩んでいるときに『吐けばいいのよ』と教えたのも母ですからね。摂食障害はなかなか治らないことを知っていて私に教えたんです。自分もそうしていて私も苦しむことを知ってて……」
遠野さんは“母の呪縛”に長年苦しんでいたのだ。
