「無名塾だけはなくさないで」の遺言にも奮起…仲代達矢さん 晩年に語っていた急逝した愛妻との“思い出”
画像を見る 仲代達矢さん(写真:本誌写真部)

 

■塾をやめたら役者も続けられなかった

 

無名塾から多くのスターが生まれた一方で、妻・恭子さんは病魔に襲われる。膵臓がんを宣告され、’96年に65歳で他界――。

 

「彼女は関係各所に『仲代には大切な仕事がありますから絶対に知らせないで』と伝え、最期まで仲代さんの役者業を応援していました」(前出・演劇関係者)

 

紆余曲折あった仲代さんも愛妻の死は耐え難かった。7年前のインタビューでこう振り返っている。

 

《居なくなって2、3年、その間、何をやっていたか記憶がないんです。ただ自殺願望というか、後を追いたい気持ちばかりが募って》(『サンデー毎日』’18年1月7・14日号)

 

そんな彼の孤独を救ったのが、恭子さんが残した手紙だった。インタビューでこうも語っていた。

 

《(手紙では)やはり無名塾のことを気にかけていましたね。「今まで私とあなたで、アメとムチでやってきたけど、これからはあなたがアメの役割も果たしてくださいね」と。つまり優しい人間になれと》(『サンデー毎日』’18年1月7・14日号)

 

《私は塾を閉めようと思いましたが、彼女の『無名塾だけはなくさないで』という遺言に発破をかけられ、今の自分があるわけです。塾をやめていたら、この年まで現役で役者を続けることはできなかったと思いますから。塾があることが、私の精神的な支えになっているんです》(『週刊現代』’22年8月6日号)

 

恭子さんが亡くなった年、教え子である役所が大ヒット映画『Shall we ダンス?』で主演男優賞を総ナメにする。

 

「仲代さんは役所さんについて話すとき『あの子は……』と言って目尻を下げていました。『わが子のように思ってきたから』とも話していました」(前出・演劇関係者)

 

役所は葬儀の囲み取材で、無名塾時代は遅刻魔で仲代さんに迷惑をかけたと詫び、こう述懐した。

 

「僕は本当にいい塾生じゃなくてたぶん仲代さんにいちばん怒られている。その記録はまだ破られていないと思います。謹慎処分を受けたことも……。でも親でもないのにこんなに怒ってくれる人は本当にありがたく感じていました」

 

役所はいまも仲代さんの教えを順守しているという。

 

「役所さんは必ず1時間前には撮影現場にやってくるんです。先日も“今の自分があるのは、遅刻をきちんと叱ってくれるなど、人間としての基本的なことを教えていただいた仲代さんのおかげだ”と話していました」(制作関係者)

 

晩年は被災地・能登の復興支援にも力を注いでいた仲代さん。彼の志は無名塾の教え子たちに、永遠に生き続ける。

 

画像ページ >【写真あり】仕事へ出かける仲代さんを自宅で見送る愛妻の恭子さん(他4枚)

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