■演技の基礎を作った舞台『滝沢歌舞伎』
先輩俳優たちに目をかけられる目黒。そんな彼の演技の基礎を作り上げたのは、舞台『滝沢歌舞伎』シリーズだ。
「’13年の『滝沢演舞城』でバックダンサーとして初出演を果たし、’19年からはSnow Manとして主演を張っていました。演技の経験に乏しかった目黒さんにとっては貴重な時間だったと聞いています。
歌舞伎アドバイザーの三代目市川右團次さん(62)に教わった所作は、『SHOGUN』のオーディションでも生きたことでしょう」(前出・テレビ局関係者)
『滝沢歌舞伎』で苦楽を共にした親友のラウール(22)。前出の芸能関係者は「彼の存在は目黒さんにとって大きなモチベーションです」と明かし、こう続ける。
「2人は『俳優を頑張りたい』、『モデルを頑張りたい』と言い合って、高め合ってきました。
そんななか、ラウールさんは先にパリコレでランウェイを歩き、世界デビュー。ラウールさんに負けじと、世界進出のタイミングを狙っていました」
先にハリウッド進出を果たしていた先輩の存在も大きかったようだ。
「嵐の二宮和也さん(42)は、’06年のハリウッド映画『硫黄島からの手紙』に出演するため、嵐を一時離脱したことがあります。
『SHOGUN』の撮影期間は’26年1月からの約10カ月だそうですが、その間Snow Manは8人で活動することになります。二宮さんの前例があったため、今回、決断できたのでしょう」(前出・テレビ局関係者)
仲間や、先輩から影響を受けてきた目黒だが、旧ジャニーズ事務所に入所する際に一度オーディションに落ちている。1年後に受けなおし、合格した経験が今につながっているようでーー。
「両親が共働きであったため、オーディション会場の前まで、目黒さんのおばあちゃんが付き添ってくれたそうです。
そのとき、おばあちゃんから『無理なら無理で。まぁ普通に楽しんで。気をつけてね』と伝えられたと話していました。この言葉で目黒さんの緊張はほぐれたのでしょう」(前出・芸能関係者)
目黒にとって、祖母は親代わりともいえる存在だ。
「目黒さんは自身を“おばあちゃん子”と称していて、忙しかった両親に代わって、小さいころから、いろいろなところに連れていってくれたそうです。
ジュニアとして活動し始めて以降も、テレビに小さく映っている目黒さんを見つけては、『またダンスうまくなったね』と声をかけてくれていたのだとか。多忙を極める今でも定期的に電話しているといいます。
『SHOGUN』のオーディションでも、おばあちゃんからもらった金言を思い出したことでしょう」(前出・芸能関係者)
大抜擢の裏には、祖母をはじめとした『SHOGUN』・目黒を支える“七人の侍”がいたーー。
画像ページ >【写真あり】『SHOGUN』出演を猛プッシュした「偉大先輩の妻」(他19枚)
