[E:note]『青春の門』も、あの『織江の歌』がなかったら、映画にしても、ドラマにしても、なかったかもしれない。
山崎 最初の大竹しのぶさんの映画ではないんですよ。その後なんですけど、もうしのぶさんと一緒になるんですよね。あれは東宝かなんかなので、私はその後の東映版なんですけど。
[E:note]筑豊(福岡県)から来たあとの話までやっていました。
山崎 でも、私は筑豊編だけです。私は、映画一本の音楽監督なんですよ。
『青春の門』は、筑豊編が一番キュンときますよね。私の歌がテレビも含めるとものすごく出ていますからね。「芯が強くて、やっぱり言葉も自然だから、本当に九州の織江を感じますよね」と、五木先生も言ってくれますね。だって、どんどん変わっているもん。芯の強さというのは歌詞見ているだけでは出ないかもしれない。さっきの時代で言うと、ユーミンは私より早いんですけど、青山とか多摩美とかよくわかりませんが、サザンが75~76年で青山とか。現役の大学生のマドンナがユーミンなんですって。そして、予備校生のマドンナがハコであったという。だから、予備校生たちとか、よく大竹まことさんとかにも言われた。売れない役者たちは、全部ハコを聞いて通ってきたんだという。風間杜夫さんとか、売れない頃は、皆あなたのファンだと言うんですよ。
[E:note]それ、いい話ですねえ。
山崎 役者たちにファンがいてくれるんですよ。「ええっ?」と思うような人が、「ファンです」と言ってくれるんですね、年上の人たちが。私の歌は多分、ゼロだとすると、マイナスの人たちの歌なの。だけど、普通はゼロから始まっているから、地下まで降りて、心を苦しくしたときに私の歌がわかるのかも。そこまで、わざわざ降りないじゃないですか。昔は辛かったから。ほっといてもマイナスだったから。予備校生でも皆バイトしていたし。皆田舎から出て来た者ばっかりで、私の歌を聴くと土の匂いがするし、もう「どうしたらいいんだ」みたいな歌が多かったし。フォークの学生たちの、俺たちは叫ぼうじゃないんですよ。そんな時代じゃないんですよ。ただ、皆、孤独でどうしていいかわからなくて、遊びもなんか下手くそでという人たち、多分女の子たちも、皆そういう人たちが支持してくれたんだと思う。だから、ハコのコンサートは「友達連れて来て」とどんなに事務所が言っても、「いや、人には教えない」とか言って。「彼女と来て」と言うと「冗談じゃない」みたいな感じで、「ひとりで来るから客が増えない」とよく言われました(笑)。でもいまは「彼氏が好きだったから、嫌いだったけど、いまになったらよくわかる」と、女の人が来てくれるんですよ。すごく嬉しい。「うちの主人がこの曲が好きだったんだけど、ふたりで来たら、主人があんなにかぶれていたのがわかった」とか言ってくれると嬉しい。「今度は、子連れで来る」とか言うんですよ。多分、辛いところに行けばわかるけど、わざわざ辛いところに行かないから、ハコの歌を聴くこと自体がしんどいというか。部屋を真っ暗にして聴くような状況に、いまは05もうないんだよと。逆に言うと、豊かだったのかもしれないし、それほど皆が辛かったのかもしれない。豊かになったら、そこまでしたくないの。「いまは部屋の明かりを消したくないの、しんどいのよ、もう」というのはあったかもしれない。だから、泣きたいときに聴こうと思われるのは、そういう十字架を背負ったんだと思う。それでも、愛してくれて、フラれたときに聴くんだというのでも十分。それで泣いてくれてサバサバしてくれればいい。娯楽と言ってしまうとあれなんですが、どんなふうに聴いてくれてもいい。映画で笑うのも娯楽だし、泣くのも娯楽だとすれば、サバサバ泣いて、「ああ、気持よかった。明日から頑張ろう」でもいいとは思うんです。そういう見方で、泣くときのBGMとして私の音楽を聴いて、生を見た人は生き様全部が自分の明日への活力になる。あんな弱くて倒れそうな子がやっている、それを見ただけで、「ああ、明日から頑張ろう」と思ってくれることもあると思う。いまのライブは、それを担っている気はないし、それを見せる気もないけど……。何も見せる気はなくて、これがおすすめとかはないんですよ。ただ、このままを見てほしいと思っているんですよね。この2時間の生きている私を見てというだけ。それが、皆に伝わるんだと思います。「決められたなかで、決められたものを提出します。明日もこれを提出します」というのはないんです。しっかりしたお決まりのリサイタル状況でいくというのを、最近20年ぐらいやっていないので、そのほうがよくなって。それはいつでもできると思って、毎日毎日が、コンサートはこの2時間を見てもらおうと思っているんですよね。それと、青春時代がなかったので、いま、客としてお芝居とかをものすごく観るようになったんですね。ほんとにアイドルのように籠の鳥だったので。誰が悪いのでもなく自分から入っていたんでしょうけど。だけど、世間を知らないから、いまになって観るようになったんですね。そしたら、スターの歌手はひとりが主役だけど、芝居って違う。誰かしゃべっているときでも脇の人が役に合わせた表情を作って見ているわけですよね。そういうのを経験して、しかもテレビに出るわけじゃないのに皆チケットを売ったりして、「いらっしゃいませ」までやって、あとの掃除もしている。そういうのに、なんか、反省したんですね。皆が生き生きしていることに気づいて、「自分は本当に生き生きしていただろうか」と。歌手になるときに、「嫌々歌いたくないので、あんまり無理強いしないでくださいね」と事務所に条件をつけて歌手になったんです。「頻繁に曲はできないので、あまりヒット曲書けとか言わないでくださいね」と。「そういう訳のわからないことはできません」とか言いながら、「歌は歌うので、その代わり売ってくださいね」みたいな取引をしていました。それで、売ってくれたらつまんない歌は歌わないことを約束します、みたいな。いつも、誠心誠意真面目に歌いますって。どこかが欠落している気がして。友達もいなかったので。でも、芝居を観ているうちに、これだけ生き生きしている人がいるんだから、自分も生き生きしようというか、反省をいっぱいしましたね。それがよかったんだと思う。

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