[E:note]一大決心の渡米。英語生活への不安、そしてご両親からは何と言われましたか?
DJ KAORI 英語はぜんぜん喋れませんでした(笑)。仕事を始めるようになってからですね。初めは『MACTH』というラウンジレストランで、箱DJのように好きな音楽を掛けていました。週末は踊らせたりして。1年ほどすると遊びに来ている人から“うちでもやってくれ!”というふうに徐々に仕事が増えていったんです。最初から“DJになってやる!”って決めつけてNYへ行っていたらきっと行き詰まっていたと思います。英語がネイティブではないので、大きなオーディションやテレビなどに声を掛けて頂いても、なまり英語だったりするのでよく落とされましたし。両親はNYへ行くことを全然反対しませんでしたね。私も“ちょっと英語の勉強しに行ってくる”程度で飛び出しましたから。向こうに行ってからは全く 実家に帰りませんでした。お正月はイベントがあったりして忙しかったし。日本でCDが出るまでに(’05年)2回くらいしか帰っていません。信頼されていたんじゃないでしょうか(笑)英語が上手くなるのは精神的なものだと思うんです。上手く喋らなきゃ、完璧に喋らなきゃと思うと、日本人は遠慮しちゃって喋れなくなってしまう。そうじゃなくて、自分の言いたいことは相手を気にせずにはっきり言う。自分を主張していくことが大切。そうしないとウィークに見られてしまう。日本だと自己主張をよしとしない部分があるけど、向こうは逆で主張しないと以心伝心がない。コミ ュニケーションをハッキリ伝えないと何考えてるかわからないヤツになってしまう。間違っていても発言することが大切。遠慮しちゃダメなんです。日本語でもいいからずうずうしく負けない気 持ちで。日本で生まれ育って英語が話せないのは当然ですからね。
[E:note]憧れの地・NYでの苦労はありましたか?
DJ KAORI DJはその場を盛り上げられるかで決まるので、盛り上げられればOKだし、盛り上げられないとダメ。盛り上げられないとお客さんは踊らないし、帰ってしまう。最初の頃はありましたね。結 構へこみましたよ(笑)。だからDJするときはテキーラとか飲んで気合いを入れ、お客さん以上のテンションで自分を盛り上げつつ真剣勝負をしていました。でも毎日家に帰って反省会でした。当初はあんまり相談する人はいませんでした。言葉は通じないし、いまいち社会に入り込めない。移民でしたから。でもやっぱりそういった悩みを聞いてくれて支えになってくれたのは同じ日本から来た日本の友達でした。だからここまでやってこられたという部分もあります。
孤独感も強かったし、仲間に入り込めない。DJチームに入っても私以外は黒人の男子。スラングもすごくて会話もわからない。最初は何を喋っているのかさえわかりませんでした。育ってきた環境も違いますし、100%溶け込むのは難しくて、そういった意味ではきつい部分もありましたね。