“10万人が足を止めた魔法の声”
シンガーソングライター・奥 華子は「声だけで泣ける」と称される。
その一方で、テレビCM『TEPCOひかり』の耳になじむ、優しくキュートな歌声で人々の心を癒す力を持つ彼女。
今回は8枚目となるNEWシングルで“裏・奥 華子”を開花!?
聴いたその瞬間、身を切りきざむような歌詞と心を捉えて離さない歌声にカウンターパンチをくらうはず。
そしてその素顔は、歌声からは想像もつかない○○な女!?
一度、赤いメガネ姿の彼女のライブを観た人はハマってしまう理由……その秘密はインタビューのなかに隠されているかもしれない。(撮影/桑原 靖)
[E:note] 突然ですが、奥さんは、赤がお好きなんですか?
奥 華子(以下奥): 私物で赤は多いですね。これと同じメガネが家には10個くらいあります(笑)。いちばん初めに買ったメガネが1,000円くらいの安いものにしてはすごく良かったんですよ。新たに欲しくて探したときには同じものが見つからなくて、わざわざ6万円をかけて作ったんですよ(笑)!
[E:note]視力が悪いのではないんですか?
奥: 視力は2.0あります(笑)。
[E:note]メガネをするようになった理由は?
奥: 路上を始めて、しばらくして赤メガネをかけてやってみたら、CDが3倍売れたんですよ(笑)。それがきっかけで、ずっと(赤いフレームのメガネ)しています。
[E:note]当時はどこで路上ライブをやっていたんですか?
奥: 最初は渋谷駅、新宿、都内が多かったですけど、なかなかCDが売れなくて。ある日、当時面倒を見てもらっていた人(現プロデューサー)から「売れるまで帰ってくるな!」と言われたものだから、初めて地元の駅でライブをやったんですよ。そうしたら、すごく人が集まってくれまして、それからは千葉でやることが多くなりました。
[E:note] 手売りで記録的な数字の売上げたそうですね。いつごろから手ごたえを感じましたか。
奥: 路上ライブを始めてから本格的にデビューするまで、じつは1年もなかったんですよ。そういう意味では、路上はそれほどやっていないんですね。当初、都内でやって100枚売り切れたときは、すごく手ごたえがありました。それでさらに、千葉のようにもうちょっと静かな駅でやるようになったら、それまでの反応とはまたぜんぜん違ったんです。
[E:note]どんな違いが?
奥: それまでは、人が多いところに行けばいいと思っていたんです。でも、そうではなく、みんなが帰ってくる駅、「みんなの気持ちがもっとおだやかなとき」って言うのかなぁ、そういう場所で唄ったほうが自分の音楽が合うとわかった。それからですね、1日300枚とか400枚とか売れちゃうようになったのは! ビックリしましたね。もちろん、そこにいくまでにはいろんな試行錯誤はありましたけど……。そうなってからは、「路上ライブが自分の場所なんだ! 」くらいに思っていましたね。
[E:note]路上で歌っていた曲は、いつごろ作られた作品だったのですか。
奥: 私、20歳から25歳までずっとライブハウスで唄っていたんけど、どうにも芽が出ないので、25から26歳になる1年間で曲を作ることにしたんです。理由は「自分を変えなくちゃっ!」と自己改革。路上ライブは、その新しい自分が作ったもので勝負しようと思ったので、昔の歌は唄わず、その1年間で作った曲で挑みました。「新しい道への第一歩」という気持ちで路上に立っていたと思います。