デビュー35周年、ひとくちにいってもいろいろあったと思います。
デビュー当時を振り返って、どう思い返しますか?
夢のような感じ? また最近youtubeとかで昔の曲が流れてたりするじゃないですか。
「あーこんな風にしゃべってたんだ」「こんなふうに歌っていたんだ」とか、自分で自分にびっくりしちゃって。
まるで自分じゃないみたいな感じ?
自分の娘とか妹が歌っているようで、ひとごとのような感じですね。
当時の思い出はなんでしょうか?
とにかく忙しかった。また実家が春日部で、遠かったんです。
でも、そこから通うっていうのが両親とマネージャーの約束だったので、デビューして3年半ぐらい通ったんですよ。
私の場合、デビューする前から学園祭とかライブハウスとか、普通のコンサートなどのコンサート活動をしながら、アルバム作りというのもすごく丁寧にやっていました。
さらにテレビとかラジオ、雑誌のお仕事など、アイドル的なお仕事もさせていただいていて、ひとりでふたり分の歌手の仕事だったのですごく忙しくて。でも春日部まで帰らなきゃいけなかったので、人一倍寝る時間が足りなかったです。
行きは電車なんですけど、帰りは夜中なのでタクシー。
それで、タクシーのなかで寝て、家に帰ったらまたすぐ寝てみたいな。
本当に「わけわかんない!」っていうぐらい忙しかったですね。
その頃のスケジュール帳、を持っているんですけど、真っ黒ですもんね。よくこんなにお仕事してたなって自分でも思います。やっぱり若かったから頑張れたのかもという感じ。
3年半とひとくちに言っても、実家から通われていると、途中で「もうひとり暮らししてもいいんじゃないか」って思いますよね。
子供の頃からひとり暮らしはものすごく憧れていたんです。
小さい頃の夢は、早く大人になって、早くひとりで住みたい、だったんですね。
だから、デビューしたときも隙を見つけては早く出たいと思っていて。
で、3年半経ったときに、やっぱりちょっとハードスケジュールがひびいて喉を痛めたことがあって。
とうとう父が「そんなに大変だったら東京に住んでいいよ」となって「やった!」っていう感じではじめてお部屋を借りましたね。
もう嬉しくて嬉しくて、生活は変わらないじゃないですか、忙しいから仕事が12時とか1時に終わって、それからお部屋に戻るという感じ。
でも、夜中にあいているスーパーとかに行って、今日は洗面器ひとつ買うとか、お鍋ひとつ買うとか、そうやって家のものがひとつづつ増えていくのがすごく嬉しかった。
自分の家を自分の思うとおりにつくるのって楽しいですよね。
楽しいです。でも、時間がないせいもあって大がかりなベッドやカーテンなどは全部うちの母が買ってくれたので、自分の思い通りではないんですけど。
とにかく最初の目的はひとり暮らしだったので、すごく嬉しかった!
どんなお部屋でしたか?
なにもない、すっごく殺風景なお部屋。
マネージャーが仕事終わって送ってくれたときに「お前の部屋はテレビもないのか」っていうぐらいです。テレビを観る時間もなかったので、必要がなかったのもあるんですけど、ベッドとダイニングのテーブルといすがあって、あと台所でとりあえずちょっとお料理できるくらいの簡単なお鍋とフライパン。冷蔵庫とあとタンス? 本当にシンプルなお部屋でしたね。
間取りは2DKかな。
ひとりでは広かったけど、ひと部屋は衣装部屋みたいな感じだったので。
衣装は御自分でご用意されることが多かったんですか?
スタイリストさんが用意してくださることも多かったし、自分で見つけるのもあったし、と言う感じです。
いま、その衣装は……。
かなり処分しましたね。
でも、デビュー当時のものでどうしても処分できないものがいくつかあります。最初のアルバムのレコードジャケットに使った衣装はとってありますね。
お宝ですね!
もう着られないんですけど(笑)、捨てるわけにもいかないし。かといって、まあいつまで持ってようかなと思いますけど。
ヤフーオークションにでも出したらすごいことになりそうですね(笑)。
(笑)。それもちょっと怖いですね。死ぬまで持ってようかな。
ウエディングドレスよりある意味……
そうですね、思い入れがあるかも知れません。
太田裕美さんのインタビューは明日に続きます。
撮影/永田理恵