仕事にしてしまったからこその辛さみたいなものはなかった?
大橋:逆に、仕事と思ってないから、辛さも我慢できるの。仕事と思ったら目をつぶってもイヤだと思うんですけど、でも、好きなことだったからやりつづけられたし、好きなことだからできないと悔しいの。
セールス的なことで気の乗らない歌を歌わされてイヤな思いをしたことは?
大橋:それはある。ターニングポイントになった『たそがれマイ・ラブ』は最初のヒット曲ですけど、当時、ちょうどバンド活動をやり始めたときでもあったので、歌謡曲色の強いこの歌を歌うのはすごく抵抗があって、ヤダ、ヤダってうんと反対したの。でも。レコード会社と事務所の説得もあって、私自身、割り切って納得してそのときはやりました。幸か不幸か大ヒットになっちゃって、今となっては幸運だったんですけどね。そういう意味では『シルエット・ロマンス』も同じよう、ありがたくもあり、若い時はすごく反発しました。それにそのヒットの後、一時期、歌わない時代が4年ほどあったんですよ。ちょうどデビューして10年目、毎年恒例でコンサートツアーを何十本とやっていて、レコーディングとステージ、本当にスケジュールに追われていました。さきほど言いましたけど、私にとって歌は趣味で、好きで歌いたかった……。それがだんだん仕事の感覚になってマンネリ化してくる。ステージに立っていて、「ああ、今日もステージか……」ってイヤになる自分がいるような気がした。1回リセットしようという内省する気持ちと、自分が歌手としてどういうものを歌っていきたいのか、どういうふうに生きていきたいのかってことをちゃんと考えようと思って休業しました。
答えは出たんですか?
大橋:答えは出ました。結局、私は流行歌手で、若くてとんがってはみたものの、歌に対する執着心、「歌いたい!」という気持ちがこんなに強かったのかって改めて感じました。私がバカ正直すぎたんですよ。あとになってね、同じような世代の歌手の方に話す機会があったんですけど、図らずもね、納得のいかない曲がヒットしちゃって戸惑った、といった経験は誰しもお持ちのようです。それを何人か聞いたときにホッとしました、やっぱりそうよね。
大橋純子さんのインタビューの続きは明日!
撮影/桑原 靖