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天才腹話術師のいっこく堂が、9月19日、活動20周年を記念するDVDを発売した。気になる内容は、新作ライブ『世界の果てまでイッコク~!』を
はじめ、今年6月27日の横浜・関内ホール公演の模様やDVDのための新たに収録された映像等が満載! と、いっこく堂ファンにはたまらない1作だ。

今回は、活動20年を振り返り、役者から29歳で腹話術師に転身したときのエピソードをはじめ、エンターテイナーとしての誇りや自信、これからの展望について語ってもらった。

 

―腹話術師になられて20周年を迎えられたということですが、どんな心境ですか?

話術を始めたとき、「10年やれば、芸になるかな」と思っていたので、こんなに早く20年がくるとは思っていなかったです。というのは、僕の心の師匠であ
る役者の米倉斉加年さんから「10年やらないと、芸はできない」と言われたのが、ずっと頭にありました。10年が節目だと思ってやってきて、その2倍の年
月がたったのかと思うと、本当に感慨深いです。

―「10年で芸になる」という意味では、いっこく堂さんは、今、自分の芸はどのくらいに到達していると思っているんですか?
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観的に見て、僕は中途半端な位置にいると思います。芸人ですけど、お笑いではない。「芸能人か?」と言うと、一般の人から見れば芸能人なのかもしれませ
ん。でも、たまにテレビに出ると、共演者を「あ、テレビに出ている人だ!」って思ってしまう(笑)。僕より若い方たちでもそう思ってしまうのは、やっぱり
芸能人ではないんだなあと痛感しますね。でも、僕自身、それでもいいんです。僕はステージの人間なので、そのこだわりがあるからかもしれないですけど、テ
レビに出るときの素人感覚が抜けないんです。

―ステージに立つときは、どんな気持ちなんですか?

れはもう、自信を持って、「観て下さい!」という気持ちでやっています。エンターテイナーの中で自分はトップだと思っています。そういう気持ちでやらなけ
れば、お金を払って見て下さるお客様に失礼ですから。ただ、先ほども言いましたが、一般の人から見たとき、「いっこく堂って、なんかイマイチ」という印象
はぬぐえないと思いますけど、それはそれでいいんですよ(笑)。僕自身、テレビで人気者になりたいわけではない。だから、この中途半端なポジションを確立
させて、「たまにメディアにも出る人なんだな」とみなさんに認められたいですね(笑)。

―「エンターテイナーの中でトップという自信がある」というのは、腹話術師としてトップだということですか?
いえ、すべてのパフォーマーを含めて、自分はトップだという気持ちでやっています。腹話術師というジャンルはやっている人がそれほど多くないので、正直、競いようがないんですよ。

―いっこく堂さんの腹話術師の芸というのは、唯一無二のものだと思うのですが、ご自身は、海外のパフォーマーを手本にしているとか、意識している競争相手はいるんですか?

ないですね。海外の人のものを見たのは、腹話術を始めた後からです。逆に、「僕が海外の人の芸を手本にしたんだろう」みたいなことを書かれたことがあるん
ですが、それは心外です。僕と似たようなことをやっている人も、僕のマネをしている人もいます。海外のパフォーマーの中に「この人、すごい!」と言われる
人はいますが、正直、僕のほうが勝っていると思います。それがわかってもらえないのが悔しいんですけど、仕方ないでしょう。たとえ
ば、ピアニストではない僕が、ピアニストの腕の差がわからないのと同じですからね。

―20年前、役者から腹話術師に転向したきっかけは?
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るとき僕が、劇団の宴会でモノマネをやったとき、それを見た米倉さんが「お前は1人でやっているほうがイキイキしているな」とおっしゃったんです。それか
らですね、1人で芸をやってみようと考え始め、思いついたのが腹話術だったんです。というのも、僕が中学生のころ、交通安全の腹話術を見たときから、すご
く興味を持っていたんです。当時は人形が手に入らなかったこともあって、ずっと大人になるまで忘れていたんですけど、心のどこかにあったんですね。ちょう
ど29歳になる少し前でした。「新たな芸を作ろう!」「腹話術を新しくしてみよう!」と思い立って、いろいろ試行錯誤してやった結果がこうなった。

―何年くらいたったとき、腹話術師は自分の適職だと実感できたんですか?
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年くらいたったときでしたね。わりと口コミで広まってきて、「合っているかな」と思えるようになりました。当時、全国の親子劇場、子ども劇場という日本各
地でやっている音楽や演劇の観賞会のプレゼンに足を運んで、自分の芸を見てもらって認められ、1年に200本以上の仕事をこなすようになりました。それを
2年くらい続けて、評判もよかったので、これでやっていけるかなと思えるようになりました。対象がまだ子どもだったんですけどね。

―大人に見せる芸というのを意識した時期もあったんですか?
’99
年ごろですね、大人に見せることを意識した時期はありました。それが今、また意識が変わって、「三世代に見せたい」と思うようになったんです。オムニバス
でやるときは、ここは子どもにウケるようなネタをやって飽きさせないようにって考えたり、童謡の替え歌をしたりする工夫をしています。

―いっこく堂さんが、これから目指しているものはか?

も探しているんです。「どんなことができるのかな?」って。つねに新しいことをやっていたいと思っています。でも、どうなるかはわからない。10年前にも
そんなふうに同じことを考えていました。モノマネは、対象人物が旬な人であれば受けるもので、捨てずに置いておけばいい。ただ、そこにまた新しいもの、
「こんなことも?」っていうのを見つけられるのが理想ですよね。というのは、自分の中で、もう1回、ブレイクしなきゃダメだと思っているから。もう1回あ
れば、食べていけるかなって思うんですよ。

―芸を極めた上で、それにまた新しいことを探しているんですね。
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していれば、絶対あると思っています。唯一、ブレイクしようと意識してやったのは、“宇宙人”というもの。これがあんまりうけなかったので、意識しても作
れないことがわかった。だから、意識せず、何かを目指していれば、いつかスポットが当たるんじゃないかなあと思っています。

―仕事から離れると、ふだんはどんなことをしているんですか? 趣味は?
無趣味なんですけど、映画を観るのは好きですね。あと、走るのが好きですね。この10数年、毎日必ず10キロ走っています。1時間程度ですけどね、旅先で
も、ちょっとした空き時間にパッと走る。リラックスしますし、走りたいんですよ。始めたきっかけは、30歳半ばごろ少し太ってしまって、ダイエットが目的
でした。何かを考える時間にしたり、ネタを手に書いて暗記をしたり、楽しいんですよ。地方に行ったときは、走りながらその土地ごとにいろいろな発見があり
ますし、面白い。海外でも走りましたよ、外出するのがムリなときはジムに行くんですけど、景色が変わらないのでつまらない。もっと辛いのは、冬の北海道で
すよ。雪が降っているので、部屋の中でひたすら走る、前に進めないことほど辛いことはないです(笑)。

―ネタ作りのためにやっていることは?

タ作りでとくにやっていることはないんですけど、韓国語の勉強はしています。何年か前に学校に通い始めて、今は時間ができなくて行けなくなってしまったん
ですけど、勉強を続けたいですね。今年1月には、BS日テレで放送された『竹中直人 大人の笑い』(4月放送)という企画で、韓国で舞台に立ちました。8
分だったかな、サトルとジョージと3人で、韓国語でやってすごく受けました。

―英語もできますよね、語学を覚えるコツは?
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ツはリズムです。あと、恥ずかしがらないこと。韓国語は教科書の表現はわりと簡単なんですけど、カジュアルな表現になると難しくなりますね。1月の舞台
は、くだけた表現のものを見せたかったので、「こんな表現があるんだ?」と思いながら覚えました。韓国でもまたやってみたいですね。

―ほかにやりたい場所は?
ラスベガスですね。でも、もうちょっと年を取ってからでいいかなあ。昔はすごく憧れていましたけど、いまはそれほどでもないんですよ。

―今回、9月19日にDVD『ボイス・イリュージョン いっこく堂 世界の果てまでイッコク!』はどのように観てほしいですか?
ご家族で観てほしいですね。今、三世代を意識していると言いましたけど、観ていて子どもも楽しめて、親も引き込まれるもの作りたい。このDVDもそういう作品になっていると思います。それから、韓国語版も入っていますね。

―もうじき50代になりますが、何歳くらいまで現役でいたいと思っていますか?

あ、60まではやりたいですね。今、マギー史郎さんが66歳なんで、僕もマギーさんと同じくらいまで頑張ります(笑)。マギーさんは年上ですけど、すごく
仲がいいというか、芸能界で唯一の友だちなんですよ。そうですね、マギーさんが今後続けられる年齢まで、僕も続けたいですね(笑)。

いっこくどう★

’63年5月27日生まれ。沖縄県出身。現在、美ら島(ちゅらしま)親善大使を務める。’82年、
沖縄県北谷高校卒業後、上京。’86年、劇団民藝に入団し舞台俳優を目指していたが、’92年、劇団を休団し独学で腹話術を始めた。’00年、ラスベガス
「世界腹話術フェスティバル」でオープニングを飾る。同年、全国ツアー「ボイス・イリュージョンツアー」がスタート。’03年に全米ツアー、翌年には、第
6回中国上海国際芸術祭にて中国語で上演するなど、アジア、ヨーロッパ、南米などの世界ツアーを次々と成功させた。

『ボイス・イリュージョン いっこく堂 世界の果てまでイッコク~!』

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(収録内容)
第1幕
・サトルとジョージ
・明日があるさ
・カンちゃん(番外編)
・あの人 この歌
・音のある風景
・診察室

第2幕
・いっこく堂ものまね腹話術ランキング

アンコール
・松山千春メドレー

特典映像
・韓国版サトルとジョージ

¥3,990(税込み)
PCBG‐11173
本編80分 特典映像10分
発売元:ポニーキャニオン/ムーブマン/一石堂事務所
販売元:ポニーキャニオン
© 2012 ポニーキャニオン/ムーブマン/一石堂事務所

『ぼくは、いつでもぼくだった。』(株式会社くもん出版刊)

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絵:中村景児(なかむらけいじ)

(内容)
「いま」があるから、「あした」のしあわせがある…
いっこく堂が子どもたちにエールを送ります。
腹話術をこえた独自の「ボイス・イリュージョン」を展開し、
世代や国境をこえ、多くの人びとを魅了し続けているいっこく堂。
本土復帰前後、激動の時代であった沖縄での少年時代や、
死んでしまいたいとさえ思うようなつらい経験。
生きてきた日々、そのすべてが自分をつくったという実感を通し、
いっこく堂がはじめて書き下ろした、自伝的児童文学です。

詳細はこちらのサイトへ→http://www.kumonshuppan.com/

 

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