「ジブリに1年間通い詰め、300時間以上カメラを回し続けました。専用の机ももらえて、自分もジブリのスタッフなんじゃないかと錯覚したことも(笑)。でも撮れば撮るほど、ある種の狂気を感じて……」

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そう語るのは、現在公開中の映画『夢と狂気の王国』の砂田麻美監督(35)だ。

 

ゼロ戦の設計者・堀越二郎と文学者の堀辰雄という実在の人物をモチーフにしたスタジオジブリ作品『風立ちぬ』は、宮崎駿監督引退というニュースも追い風となり、興行収入118億円を超えた。

『夢と狂気の王国』はこの『風立ちぬ』製作の佳境であった昨秋から9月に行われた引退会見までの約1年間を丹念につづり、宮崎駿監督、高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーというジブリをけん引する”3人の王”の魅力をあますところなく伝えている。

 

砂田監督のもとにジブリのドキュメンタリー企画が舞い込んできたのは昨年夏のこと。彼女は、’11年の秋にがん告知後の実父を描いた映画『エンディングノート』を発表し、数々の新人監督賞を受賞、ドキュメンタリー作品としては異例の興行収入1億円突破を果たしていた。新進気鋭の監督として仕事の依頼が次々とくるなかで、本作を引き受けた理由は、映画『崖の上のポニョ』(’08年)の強い印象があったからだという。

「私はひねくれていて、映画を見てもほとんど泣かないんですが、ポニョと男の子が疲れ果てて帰ってきて即席ラーメンを食べさせてもらうシーンで、食べている最中にポニョが寝ちゃって、そこで号泣したんですね。一見子ども向けのアニメで、まったく謎のポイントで涙を流したのは強烈な体験でした。もう一つがスタッフエンドロール。関わったスタッフ全員が、あいうえお順に並んでいることに衝撃を受けました。監督の向こう側にある組織、つまりジブリという集団には何かすごいものがあるのでは、と思ったんです」

 

■”忍者のように”気配を消して撮影

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ジブリでの長期密着型の取材は、監督が撮影も兼ねる形で行われた。しかし、一日分で本が一冊できると思うほどの宮崎監督の発言をすべて撮っておきたいという思いと、いい話が始まるたびにテーブルに置かれたカメラを持ち上げて撮影しはじめることへの躊躇とで、何度もせめぎあったという。

 

 「一度、宮崎監督に『私、本当はカメラは回したくないんです……』と言ってしまいました。そうしたら『それくらいでちょうどいい』とおっしゃって。本当に穏やかで優しい方でした」

 

宮崎監督は”先輩として”映画製作のアドバイスまでしてくれた。

「人の内面を映像で描きたいなら、顔のアップばかり撮っていてはダメだ。そこには何も映っていないよ、と」

 

実際、映画には宮崎監督が家中の窓を戸締まりして歩く後ろ姿、猫と会話する横顔など、あらゆる角度から監督の素の姿がとらえられている。

 

鈴木プロデューサーからも毎日のように鍛えられた。

「撮影初日に宮崎監督に『今日から撮影させていただきますのでよろしくお願いします』と挨拶をしたんです。そうしたら、あとで鈴木さんに『あのタイミングはダメ』と注意されました。私としては何も言わずにカメラを回すなんて失礼を超えて〝テロ行為〟だと思っていたのですが、それは単なる、安心したいだけの自己満足だったんですね」

 

その挨拶は、大事な会議が始まる直前だったのだ。鈴木さんは丁寧に諭してくれた。

「まず『気配りという言葉から”り”を取ると何になる?』と聞かれました。私が『気配ですか?』と言うと、『そうだ』とうなずいてから、こう教えてくれたんです。『取材とは、自分の気配を出すとき出さないときの差し引きで決まる』と」

 

その「忍者になれ」という助言が功を奏したのだろう。映画後半には、引退記者会見直前の控室が登場する。ホテル高層階の窓際に立っていた宮崎監督は砂田監督を手招きし、眼下に広がる東京の風景を指さしながら「見てごらんーー」と語り始める。それは、ジブリアニメの歴史のすべてを言い表しているのではと思えるほど、感慨深い”宮崎駿の目線”だった。まさしく、1年という時間をかけて築いた関係性があったからこそ撮れた瞬間だろう。

 

■みんな穏やか。だからこそ怖かった……

 

映画では宮崎監督が「俺はオタクじゃない」と言い張るシーンや、『風立ちぬ』の主人公の声を決める会議で、『新世紀エヴァンゲリオン』の監督・庵野秀明を思いついて悦に入る様子など、ちゃめっ気たっぷりな魅力がユーモラスに描かれている。

「宮崎監督には究極的な遊び心と、人生をとことん楽しもうとする無邪気さと、侍のように一本筋が通った昭和の男が同居していて、一日にどれかが何度も顔を出すんです。まったく年齢を感じさせなかったですね」

 

ともすれば、ジブリはほのぼのとした平和的な組織に見える。タイトルに「狂気」という言葉をあえて使った理由は何だったのだろう。

「宮崎監督の狂気は作り手として理解できる部分があるのですが、鈴木さんの場合はどこまでが計算でどこまでが自然かわからない、予想を超えたものの考え方をするんです。十五手くらい先を行く仕事の仕方に毎日驚かされて。

 

狂気というと現場が殺伐として、みんなが怒鳴り合ってストレス満載な状況をイメージするかもしれないですが、真逆なんです。本当にみんな穏やか。だからこそ怖かった。宮崎監督、鈴木さん、高畑監督という常人ではない3人がトライアングルをなしてどこも破綻しないような形でくるくる回っている、そこに狂気を感じました」

 

また、宮崎監督の引退表明はさほど驚かなかったとか。つまり撮影中ずっと「終焉」を感じていたのだろうか。

「いえ少し違います。撮っているときは新作を完成させる瞬間、つまり『いま生まれゆくもの』を見ていた。一方で、『僕たちの時代は終わる』という宮崎さんの発言も強く響いていました。生と死が交差する、そのXの状態を私は撮っていたのだと思います」

 

最後に「宮崎駿とは、ジブリとは何か?」と尋ねると、「答えられたらすごいですよね」と笑いながら、砂田監督はこう続けた。

「孤高の芸術家というイメージというのが多かれ少なかれあったと思うんです。でもそういう宮崎さんよりも引退記者会見で『町工場のオヤジ』とご自身がおっしゃっていたように、職人を率いていく工場長のように毎日同じことを繰り返して身を粉にして働いてきた人という印象が強まった。まったく違う世界の天才ではなく、私たち働くすべての人の延長線上にいる人。ジブリに1年通って、芸術家集団を見ているというよりは、昭和という時代に第一線で働いてきた男たちの背中を見ているのだと、何度も感じました」

 

映画の宣伝コピー「ジブリにしのび込んだマミちゃんの冒険。」は鈴木さんが考えてくれたそうだ。砂田監督はその切実な冒険の末、3人の王から「何かすごいもの」を受け渡されたに違いない。

 

取材・文/堀 香織  撮影/加冶屋 誠

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