「貫太郎みたいな人は、たたくし、奥さんの誕生日も忘れているけど、離婚しようなんて考えない。いまの人はしゃらくさく結婚記念日なんかを祝うのに簡単に離婚したりして。こういう時代は、ぼくたちは生きにくいから、ちょうどお陀仏なっていい、と思うくらい。バカ話しながら飲んでいるのがいちばん楽しいですよ」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第64回のゲスト・作曲家の小林亜星さん(83)。『寺内貫太郎一家』でおなじみ“昭和のガンコオヤジ”のイメージが強いですが、中山の質問にぽつり、ぽつりと丁寧に会話される姿が印象的でした。そんな2人のトーク、スタートです!
中山「初めてお会いします。子供のころから見ていました」
小林「このごろ、あまりテレビ局には行かないからね。顔が知られているとろくなことがない。電車に乗っていたら『亜星さん、最近テレビで見ないですね』なんて言われたり。本当にイヤですよ(笑)」
中山「電車にはよく乗られるんですか?」
小林「電車に乗っていると、世の中のことがよくわかるんですよ。みんなスマホをいじっていたり、女のコが化粧していたり」
中山「時代の流れは電車でわかる、と。そして亜星さんといえば、『寺内貫太郎一家』のオヤジのイメージが強いです」
小林「あれは41歳のときですから、43年前」
中山「西城秀樹さんが吹っ飛ばされたりとか、ハチャメチャな部分もありましたよね」
小林「ケガさせちゃったときには、女子高生から山のように手紙が来て、『お前の大事なところを引っこ抜くぞ』って(笑)」
中山「そのくらい体当たりでやられて」
小林「適当な加減でやっていたら、監督が『本気になってやれ』と怒るんですよ。それで本気になってやっていたら当たるでしょ、頭にきちゃって、さらに本気になる。終わってから『ごめん』って謝るんです」
中山「それもチームワークですもんね。いまにはないものがあったというか」
小林「テレビ局そのものが変わりましたよね。いまは入るときにカードをつけて『ピッ』とね。昔は誰でも入れたものだから、知らない人が勝手に入ってピアノ持っていっちゃったりとか。『どこ持っていくの?』と聞いたら、『修理』とか言ってさ」
中山「めちゃくちゃですね(笑)。でも、あのころのテレビは痛快でしたし、昭和の家族の姿もよく見ていた気がします」
小林「いまは毎晩家族そろってちゃぶ台を囲むことは少ないんだろうね。ひとりひとり違う飯。みんな変わっちゃったね。歌だってそう。『紅白歌合戦』で『今年はこの歌がはやりましたね』というと子供から大人まで、同じ曲を楽しんでいましたから。いまはみんなで同じものを楽しむ時代じゃないですね。それだけ、個性が発揮されているのかもしれないですけど」