「会見を行った日は、35年前に私が『フライデー・チャイナタウン』でデビューした日でもあります。どうしてもこの日に生まれ変わりたくて、数カ月前から、会見の準備を進めてきました」
9月21日に芸能活動を本格的に再開することを発表したシンガー・ソングライターでタレントの泰葉(55)。会見では、’07年に春風亭小朝(61)と離婚した後、双極性障害によるうつ状態と闘っていたことも明かした。体験した壮絶な“うつ闘病”−−泰葉が本誌に語ってくれた。
「結婚以来20年近くおかみさん業に徹していたため、その反動でロケットが噴射したようにものすごく気分がハイになってしまったんです。仕事が楽しくて楽しくて仕方がない。そのいっぽうで、人と衝突したり、スタッフにダメ出ししたりすることが増えてきて。自分でも『ちょっと尋常じゃないな』とは思いましたが、そのときは毎日が楽しすぎたため、まさか病気だなんて気づきもしませんでした」
だが、それから3年が過ぎたころ、今度は体に異変が起こり始めた。
「疲れやすくなったり、起きられなくなったり。おなかの調子もとても悪くなりましたね。あんなに楽しかった仕事もあまりしたくなくなって、人と話すことも苦痛になってきた。ハイだったときの反動が、じわじわ襲ってくるような感じでした」
離婚翌年の’08年にブログで、元夫のことを「金髪豚野郎」と非難したが、その発言に対するバッシングもあった。徐々に気落ちしていく泰葉は「何であんなひどいことを書いてしまったんだろう」と、今度は自分を責めるようになったという。
「薄紙が一枚一枚重なっていくように、どんどん気持ちがなえてきて、『どうして生まれてきたんだろう』『何で結婚したんだろう』と、自分を責め抜くようになってしまったんです。そうしたら最終的に、死にたくなってしまいました。当時の記憶は割とぼんやりしているんですけど、このときに『このままじゃ死ぬ。何か治療をしないとダメだ』と、気づいたことは確かです」
受診した大学病院の精神神経科で、「双極性障害によるうつ状態です」と告げられた泰葉。ショックを受けるよりも、「むしろ安堵した」という。
「治療は抗うつ剤の服用とカウンセリングが中心でした。多いときは朝と晩、3錠ずつ服用していました。お薬を飲むと、気分は楽になるんですけど、足がしびれたり、急に顔や手をずっと洗いたくなる。そんな副作用も苦しかったです。そのころ、実家の隣にあるマンションに引っ越したんです。母(海老名香葉子さん・83)には『毎日必ず(実家へ)顔を見せに来なさい』と言われていました。3階には『ねぎし三平堂』(初代林家三平さんにまつわる品々が展示されている資料館)がありますので、『三平堂で、夕飯まで歌の練習でも何でもしなさい』と」
最初は、薬の副作用でだるく、レッスンどころではなかった。
「離婚したのは、自分の音楽を取り戻したかったからなのに、レッスンもままならない……。そんな葛藤に苦しめられました。音楽どころか、『死にたい』と、そればかり思ってしまうんです。この死にたいという感情を、誰か消し去って!という叫びで心の中はいっぱいでした。うつ病のいちばんのつらさは、生きる自信がなくなることですね。頭痛がするなら痛み止めを飲めばいいかもしれませんが、心の痛みはどうやっても取れないんです。これは経験した人にしかわからない。本当に“地獄”でした」