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「中村勘三郎さん(享年57)とは、ゴルフでも麻雀でもケンカをしていましたが、芝居だけは別。勘三郎さんは尊敬する役者です。あの方も『おまえとはやりやすい』と言ってくれていました。同じ時代に役者ができて、しかも同じ舞台に立てて、本当に幸せだと思います。今でも役を演じるときに『この場合、勘三郎さんは何て言うかな』とよく考えます」

 

そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第72回のゲスト・歌舞伎俳優の坂東彌十郎さん(60)。故・中村勘三郎さん、故・坂東三津五郎さんとは、若き日から苦楽をともにした幼なじみで、伝統芸能を継承するいわば“戦友”。2人のスターが逝った今、歌舞伎に並々ならぬ熱い思いを抱く坂東彌十郎さん。公演の合間の歌舞伎座にて、中山との初対談スタートです。

 

中山「彌十郎さんとは『初めまして』ですよね。今回は中村芝翫さんの襲名公演の出演でお忙しいなか、お時間いただきありがとうございます」

 

坂東「こちらこそ歌舞伎座まで来ていただいて……。こちらは『歌舞伎座』という名前になって今で五期目なんですが、江戸時代は幕府が許可した中村屋、市村屋、森田屋という江戸三座という芝居小屋で歌舞伎をやっていたんですよ。座主たちが自分で役者と契約して競っていたんです。しかも、当時はブロードウエースタイルで、面白かったらロングラン、評判が悪ければ3日でも打ち切りだったんです」

 

中山「へぇ〜!面白いですね!歌舞伎の発祥は江戸時代ですよね?」

 

坂東「1603年、江戸幕府が始まった年に京都の四条河原で出雲阿国が始めたといわれています。歌舞伎は大衆が楽しむ芸能なので、昔は芝居小屋での飲み食いは当たり前。それで、亡くなった勘三郎さんは平成中村座を立ち上げたときに『メシは食っていいことにしよう』と、飲食OKにしたんです。勘三郎さんは舞台から客席に下りて、お客さんが食べているお弁当のおかずをパッと取って、食べちゃったり(笑)。開演直前はガサガサしていても、いい場面ではお客さんの箸は止まるんです。勘三郎さんは『どうだ!』って自慢していましたよ」

 

中山「12月5日は勘三郎さんの命日ですよね。早いもので、4年がたちました」

 

坂東「そうですね。勘三郎さんは一つ上、三津五郎さん(享年59)と僕は同い年で、子どものころからずっと一緒に遊んでいました。『だいたいデカいやつのほうが早死にするって言うから、俺たち2人でおまえの葬儀委員長やってやる』って言っていた2人が先に逝ってしまいましたね……」

 

中山「みなさん、それにしてもちょっとお早かったですね」

 

坂東「若いころはよく3人で飲んでいました。散々飲んでも、最後に残っているのは勘三郎さんと僕。勘三郎さんは負けず嫌いでしたから、『先に帰る』って絶対言わないんです。ズルいのが、『おまえ、早く帰ろうって言えよ』って(笑)。でも、その時点でかなりお酒も飲んでいるので、いざ僕が『帰ろう』と言ったところで、『うるさいよ、おまえは。ごちゃごちゃ言わずに飲めよ』ってなるんですけどね(笑)」

 

中山「そんなに仲のよい幼なじみだったんですね。それではケンカもしました?」

 

坂東「しょっちゅうでしたよ。アリゾナのゴルフ場でもケンカしましたね。バンカーに入って何度もたたくハメになった勘三郎さんが『おまえ、俺がここから出なきゃいいと思ってるだろ!』と怒鳴ったり。僕とゴルフをすると、いつもイライラしているんです。最終的には『もう二度とおまえとはゴルフしねぇ!』と言って、ティーもボールも投げつけるので、『わかりました。僕、明日帰りますから!』と大ゲンカ。一緒に回っていた七之助君も、くだらないやりとりに困っちゃって……」

 

中山「その状況じゃ、うろたえますね(笑)」

 

坂東「結局、その日の夕飯時には勘三郎さんは『明日のゴルフのスタートは何時だ?』と言うので、『え、ゴルフやるんですか?』と僕が聞くと、『当たり前だ!』って(笑)」

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