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「人生にはいろいろなことがあったり、起きたりして自分独りでは生きていけないんですね。ですから、周りの人たちとのかかわりや、何より本音を言える友達、心から信頼できる大事な家族−−こうした人たちと一緒に生きながら、自分にとって大事なこと、自分がやりたいと思うことを大切にして生きていく。それがすみれであり、『キアリス』のメンバーですが、紆余曲折はあっても彼女たちのような人生を貫ければすごく幸せだ、と。これが、いちばん伝えたかったことです」

 

こう語るのは、NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の作者で、脚本を担当する渡辺千穂さん(45)。渡辺さんは’72年10月生まれで、東京都出身。両親と弟2人の5人家族で育った。ドラマ、映画……映像の世界が好きな少女だったが、将来映像の世界に身を置こうという気持ちはまったくなく、大学卒業後は「普通の会社」に就職。そんな渡辺さんに転機が訪れたのは、世紀が切り替わる’00年だった。

 

「(もともと)親から『本を読みなさい』と言われて、子どものころからよく読んでいました。お誕生日も、クリスマスもプレゼントは本でしたし。そのうち自然に、自分も小説を書いてみたい、と。でも、小説家を目指そうという感じではなく、漠然と書いてみたいという感じでした。ただ、『書きたい』という思いはずっとあって’00年を迎えた。そこで、ミレニアムの年に何かやろう。『そうだ、小説を書こう』と思ったんです」(渡辺さん・以下同)

 

一念発起して、「小説を書くための本」を探しに行った東京・新宿の紀伊國屋書店で、目に留まったのが脚本家・山田太一さんの、テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』シリーズの脚本集だった。

 

「そのころの私は小説と脚本の区別もつかなくて。『これ、昔好きで見ていたドラマだ』と思って買って、家に帰ってよく見たら、小説ではなく脚本だとわかって『これはなんだろう……』って(笑)。でも、『脚本ってこういうふうに書くんだ……』と思いながら読んでいるうちに、自分には、小説よりこっちのほうが向いているんじゃないかと思って、シナリオ学校の通信教育を受けることにしたのですが……結局一度も作品を送ることなく’00年が過ぎてしまいました」

 

翌年、脚本ではなく、ドラマの企画書をテレビ局のドラマ担当者に読んでもらう機会があった。書き方などもよくわからなかったが、自分なりに書いたその1本が、プロデューサーの目に留まった。

 

「企画書を送ったら、すぐに連絡をいただいて、都心のホテルのラウンジでお会いしました。その方たちが、私が脚本家としてデビューしたドラマのプロデューサーチームで」

 

プロデューサーが求めていたのは若者たちの群像劇。渡辺さんが送った企画書は10人近い人物が登場する群集劇。ぴったりだった。これを機に、渡辺さんは会社を辞めることにした。企画書を送ってからわずか1年たらずの、’02年夏。当時29歳の渡辺さんは、連続テレビドラマ『天体観測』(フジテレビ系)でプロの脚本家としてデビューした。

 

まさに“トントン拍子”で始まった脚本家生活。渡辺さんも「本当にラッキーでした」と笑うが、当時を振り返ると彼女からはこんな言葉が出てきた。

 

「シナリオの学校に通ったり、きちんと書き方を学んだことはありませんでしたけれど、自分が好きだったドラマをレンタルビデオ店から借りてきて。それを見ながらワンシーン、ワンシーン一時停止して、台詞やト書き(俳優の動きや出入り、演出など)をすべて書き起こしました。これは、かなり大変な作業でしたけれど、とても勉強になりました」

 

デビュー後、彼女は、職場における「女性同士のイジメ」を描いた『泣かないと決めた日』(フジテレビ系)や、職場での「女性同士のマウンティング」がテーマの『ファースト・クラス』(フジテレビ系)など話題作の脚本を担当。脚本家としての地位を揺るぎないものにした。

 

そんな、渡辺さんが作・脚本を担当する『べっぴんさん』は、’16年10月3日の放送開始以来、20%近い週平均視聴率を維持。放送回も残すところ10回あまりとなった。

 

「よく閉塞感という言葉が使われていますが、今はいろいろなことが難しくなってきているような気がします。たとえば、自由に、自分のやりたいことを貫くことが。それに、もう安定とか、誰かに頼るとか、何かに守ってもらえる時代ではないですよね。会社だって守ってはくれないし。でも、そういう時代でも、一生懸命がんばっていれば必ず見てくれている人がいる。すみれたちが大手百貨店の『大急』に出店できたように。私は、がんばっていることは絶対にマイナスにならないし、がんばれば必ず報われると思っています。これも、ドラマを通して、すごく伝えたかったことです」

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