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’83年にキッコーマンの「ガンバレ!玄さん」のCMに出演するや、一躍国民的子役スターへと駆け上がった間下このみ(38)。現在は1児の母となり、タレント・写真家として活躍中だ。

 

「きっかけは、当時向かいに住んでいた人が私の母を『一緒に子どもをモデルにしませんか?』と誘ったからでした。当時まだ2歳半でしたから、母は親子で楽しめればと軽い気持ちだったんです」

 

社会現象となった「ガンバレ!玄さん」のCM出演は4歳半のとき。放送が始まると、舌足らずの愛くるしさが大人気になった。’84年にはドラマ『スクール☆ウォーズ』(TBS系)でドラマにも初挑戦。

 

「共演した父役の山下真司さんはいたずら好きでした。階段から転げ落ちたとニセの血で驚かされたり(笑)。松村雄基さんは子ども好きで、一緒にお昼を食べたりとかわいがってもらい楽しかった記憶があります。現場では子どもながら、仕事は最後まで責任を持ってやらなくちゃと思っていましたね。ドラマに舞台にと、台本を4冊抱えていたこともあります。でも学校もなるべく休まないように通っていました。どれほど忙しくても、母からは『天狗になるな』とよく言われたことを覚えています」

 

そして中学入学を機に、仕事をセーブしていったという。学生時代にはコンビニやファミレスでのアルバイトも経験した。

 

「間下このみは本名なので、『なんでこんなところにいるの?』と驚かれました。その後、写真専門学校から、アメリカへ留学して、親元を離れ、ようやく誰も自分の名前を知らない世界を経験できたんですよ」

 

帰国後、’04年26歳で結婚。そして写真作家デビュー。だが’06年死産を経験する--。

 

「つらかったです。自分を責めて家にこもりがちになって。でも私がいつまでも泣いていると、亡くなった子どもが悲しむんじゃないかと思ったんです。それから、ささやかな暮らしで感じる喜びを夫婦で語り合うようにしました。主人とのそういう会話が、だんだんと私を立ち直らせてくれましたね」

 

その後、再び妊娠。だが、「不育症」のひとつの原因と言われる「抗リン脂質抗体症候群」という2万人に1人の難病と宣告された。「無事出産できるかわからない」と医師に言われたという。

 

「すごくショックでしたが、次の瞬間には、『絶対におなかの赤ちゃんを全力で守る!』と強く決心していたんです」

 

そこで彼女を助けたのは、子役時代に培った自身の知名度だった。

 

「あまり知られていないこの病気を認知してもらいたい、とテレビを通じて発表したんです。するとそれを見た、この病気のデータを持つ大学病院の先生から連絡をいただいて。それから毎日、血液が固まるのを抑制する注射を打ちに病院に通いました。子役時代で海外のロケで熱を出したとき、ものすごい太い針で注射されて卒倒して以来、注射がトラウマだったのですが、それでも生まれてくるわが子のためなら、そんなことくらいと思えて。きっと母として生きる決心ができたんでしょうね」

 

毎日の注射治療と同時に、聴診器で胎動を確認した。そして帝王切開で長女を出産。命がけの出産をつづった夫との著書『ママになりたい…~ハイリスク出産を越えて~/たまご日記~ちいさな命の記録~』は’13年にNHKでドラマ化された。出産から今年で10年……。

 

「妊娠中よりも子育てのほうが大変ですね(笑)。10歳になった娘は、私が子役で人気だったことを周りの人から聞いて、うれしいみたいです。娘は歌が大好きです。芸能活動ですか?本人がやりたいといえば応援しますね。でも義務教育を終えて大人になってからがいいかな。やはり普通の小学生のつもりが“天才”みたいに呼ばれてギャップを感じていたので(笑)。でも私が子役をしていた時代よりも、今の子役さんたちを見ていると、すごく大人のように感じますね」

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