6月18日は「父の日」。そこで、近年に父親が他界した有名人女性が、“親子の絆エピソード”を語ってくれた。愛を込めて――天国のお父さんへ「ありがとう」。
「父は私の芸能界入りには反対していました。それを振り切って大学在学中にデビューしたのですが、20代からお仕事も順調だったので、父にとっては“生意気な娘”だったことでしょう」
そう語るのは、女優の釈由美子さん(39)。当時、父・謙司さん(享年66)は古物商を営んでいて、東北地方を中心に全国を巡っていた。
「ところが、私がどんどん忙しくなっていくのと反比例するかのように、父の事業が傾いていったのです。父が抱えた借金を私が返済するようになり、当時の私の収入はほとんど父の借金に充てられました。ゴールのない返済に私は父に対して堪忍袋の緒が切れて『釈家から籍を抜く!』と宣言したこともありました」
結局、東日本大震災をきっかけに古物商を畳むことになったが、謙司さんはふさぎがちになり、家から一歩も出なくなってしまった。そこで釈さんは箱根に温泉付きの家を買い、両親にプレゼントすることにした。自然豊かな環境に移ると、謙司さんは徐々に元気を取り戻し、昔好きだった登山もするようになった。
「そのころ、私はNHKの自然紀行番組『実践!にっぽん百名山』でMCを務めることになったのです。父に話すと、それまで私が出演している番組にはまったく興味を示してくれなかったのに、その番組だけは、楽しそうに見てくれていました。父は高校時代に山岳部に所属しており、私たちが子どものころ、夏は山登り、冬はスキーに連れていってくれて、とても楽しかったのを覚えています」
うれしくなった釈さんは、「山のことをもっと知りたいから、どこかに連れていって」と、お願いし、石川県の白山に登った。それが彼女の“山デビュー”だった。
「2,000メートル級で、とても大変だったのですが、山頂に到着したときに、『気持ちいいねえ』と、父を見たら、『そうだろう?』と得意げで(笑)。父のそんな生き生きしたよい表情は初めてでした」
以来、釈さんはオフになるたびに謙司さんを誘って登山をした。富士山、中央アルプス、南アルプス、そして涸沢カールの美しい北アルプス……。
「登山をしながら父の山岳部時代の話や武勇伝をたくさん聞きました。うれしそうに話す父の姿は私にとっては新たな発見でした。山を通して私たち親子のわだかまりは、どんどんと解けていったのです」
ところが、2人で奥穂高に行った1カ月後の’14年10月、謙司さんがステージ4の肺腺がんであることがわかる。謙司さんの体調はどんどん悪化し、3カ月後に永眠……。
「父とやりたいことは、まだたくさんあったのに、あっという間でした。父が亡くなってから慰霊登山をしようと、遺影を持って、2人の思い出の山々や、一緒に行けなかった山々を巡っています。山道を登っていると、後ろからハアハアと父が上がってくる息遣いや、『急ぐとばてるから、ゆっくり歩け』という声が聞こえてきます。山はお墓よりどこより、父と交流できる場所なんです」