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「母は、私の“人生の道しるべ”でしたから、日に日に寂しさが募っています」

 

“一卵性母子”ともいわれた最愛の母・久子さん(享年92)を17年10月1日に亡くした、演歌歌手の川中美幸(62)。通夜で、人目もはばからず大粒の涙を流していた姿には“母子の絆”の強さがにじんでいた。それから2カ月経ち、四十九日を済ませた川中は“老々介護”の日々や、久子さんとの思い出を涙ながらに明かしてくれた。

 

都内の自宅マンションで一緒に暮らしていた久子さんに末期の胃がんが見つかったのは、17年5月のこと――。

 

「6月以降はほぼ寝たきりになり、亡くなる前日には訪問介護士さんに『血圧が測れません』と言われる状態になりました」

 

川中は18年3月に開かれる大阪・新歌舞伎座の公演を、なんとしても久子さんに見てもらいたかった。それが、母とのこんな“最後の会話”になった。

 

「私が『お母ちゃん、私の大阪の舞台、車いすに乗っけても連れていくからね』と言ってたんです。最初は素直に『楽しみやなぁ~』と言ってくれていた母が、やがて『車いす、車いす……』と言ったかと思ったら、『お母ちゃん、もう無理やわ』って……。それが最後の会話で、夜中の2時半頃に眠るようにまぶたを閉じました」

 

久子さんは、最後は苦しむことなく穏やかな表情で天国へ旅立ったという――。振り返れば、川中のいちばんのファンとしていつもそばで支えてくれたのが久子さんだった。

 

「舞台をやれば、母は初日、中日、楽日とすべて自分でチケットを買って観に来てくれました。毎回10本も20本もペンライトを買っては、お客様たちに『これで美幸を応援してやってください』って、配るんですよ。先日、母の化粧台を整理していたら、ペンライトが50本も出てきました。本当に可愛くって、愛情にあふれた人でした」

 

そんな久子さんが3年前に心筋梗塞で倒れ、16時間に及ぶ手術を受ける。以降、坂を転げ落ちるように急激に弱っていった久子さんを自宅で介護する壮絶な日々が始まった。16年3月には介護に専念するため、19年間所属していた事務所からも独立することに――。

 

「病院の先生からは『施設に入れる方法もあります』と勧められましたが、私の中にその選択肢は最初からありませんでした」

 

しかし、介護の負担は想像を絶する重さだった。ただでさえ介護はたいへんだが、それに加えて川中自身も還暦目前。いわゆる“老老介護”の厳しさを突きつけられた。

 

「自分の時間なんて、まったくとれませんでした。ゆったりお風呂につかるなんて、夢のまた夢。さらに体のあちこち“故障”したり、痛くなったり……。母を抱き上げるときに、軽くぎっくり腰をやって苦しんだこともあります。いやだ、思い出しちゃったわ(涙ぐんで目頭を押さえる)。完璧にやってあげられない自分が腹立たしかったですね」

 

厚生労働省が発表した16年の国民生活基礎調査によると、介護が必要な65歳以上の高齢者を65歳以上の人が介護する“老老介護”世帯の割合が介護世帯の54.7%に達した。高齢者の介護に苦しんだ結果、家族を殺めてしまう介護殺人や心中も後を絶たない。心中こそ考えなかったものの、川中も介護疲れでついイライラしてしまうこともあったという。

 

「最後のほうは“要介護5”になりました。“要介護5”は自分で排泄や食事ができない、ほとんど寝たきりに近い状態です。夜中も『大丈夫かな』って半分、起きてる状態なので慢性的な睡眠不足でしたね。肌は荒れ、顔はむくんでいますから、人前に出る仕事をしている身として失格ですよ」

 

それでも、ステージに立てば“明るく元気な川中美幸”を演じなければならない。

 

「歌っているときは元気でいられるんですが、いったん舞台を降りて帰宅すると急に不調を感じるんです。でもやっぱり、悔いを残したくない。いまできることを精一杯やらなきゃいけない、と頑張りました。昔、母ががむしゃらに働いて家の借金を返し、私たち子供を養ってくれた時期がありました。そんな母の必死な姿を見ていますから、『今度は私が母を世話しなくちゃ!』という思いがひと一倍強かったんだと思います」

 

いまも、亡き母の言葉や教えが川中の心強い支えになっている。

 

「母は苦しいときほど、笑っていました。逆境でも逃げないで立ち向かっていくんです。『どんなに辛くても逃げたらあかん』って、よく言っていましたね。だからいまも、『母だったらこの状況でどうするだろう?』って、いつも考えるんです」

 

介護の経験が、川中をさらに大きく成長させてくれたようだ。最後は笑顔でこう語ってくれた。

 

「自分の体と相談しながら、歌う場を広げていきたいと思っています。介護で過ごした3年間、これがあったからこそいま私に追い風が吹いていると思いたい。頑張りますよ、これからも!」

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