’79年の大ヒット曲『異邦人』のエキゾチックなイントロが響くだけで、昔にタイムスリップしてしまう人は多いに違いない。だが、歌い手は惜しげもなくスターの座を捨てた。「消えた」「あの人はいま」扱いだった34年間に、等身大そのままの幸せを歌えるようになっていた――。
久米小百合さん(59)は、かつて「久保田早紀」の芸名で、デビュー曲『異邦人』により150万枚のミリオンヒットを成し遂げながら、わずか5年で芸能界を引退。’85年に26歳で結婚。以降は本名に戻り、音楽を通じてキリストの福音を伝えるミュージック・ミッショナリー(音楽伝道師)として活動している。
久米さんは’81年に都内のプロテスタント教会で洗礼を受ける。そして、結婚8年目の’93年には神学校へも通い始め、新約聖書を原典で読みたいと、ギリシャへ留学も果たした。聖書の中に「異邦人」という単語が何百回も出てくることも初めて知り、不思議な縁を感じた。
39歳で長男を出産してからは、日常の子供とのやりとりをメモして、オリジナルの賛美歌の曲作りに生かしたり、教会で子供の詩のチャリティ朗読会を開くなど、母となった久米さんらしい音楽伝道師としての活動を続けていた。
そんななか、’11年3月11日に東日本大震災が起こる。久米さんは、母親としての切ない思いから、すぐに行動を起こす。
「うちと同じ年ごろの育ち盛りの子供を持つお母さんをニュース映像で見て、自分なら、子供に食べさせたい、着させたいと思うに違いないと考えました。同時に聖書の『自分のしてほしいと思うことを隣の人にもしてあげなさい』という一節を思い出し、すぐに仙台出身のゴスペルシンガーの岩渕まことさんに連絡して『東北応援団LOVE EAST』を立ち上げました」(久米さん・以下同)
教会ならではのネットワークを通じて、まず若者ががれき撤去などで現地入りした。久米さんたち音楽関係者は国内外でチャリティコンサートを行い、’13年春には単身で宮城県の教会「気仙沼ホープセンター」で支援コンサートを行った。
「一緒に歌いましょう」
こんなときは懐メロが盛り上がることを、ふだんの活動からわかっていた。『上を向いて歩こう』「涙そうそう」、そして賛美歌も。どんな曲でも、一緒に歌えばみんな笑顔になり、こらえていた涙を流せた。
「音楽って、『ご一緒に』で時間も国境も宗教だって超えてしまいます。形のない音楽の力を感じました」
華やかなスポットライトもオーケストラもないけれど、低い天井からぶら下がった蛍光灯だけの教会で歌う喜び。やっぱり音楽は人の心を救ってくれるものなんだ……。アンコールでは、引退以降、封印していた『異邦人』を共に歌いながら、大切なことを改めて思い出していた。
現在、久米さんは依頼に応じて、日本中の教会でライブや講演会を行っている。そうした活動と並行して、月に2度、都内のカルチャースクールで、聖書・賛美歌をテーマにしたクラスも受け持っている。
「難しい話というより、賛美歌を歌ったり、クリスマスなどキリスト教のイベントについて共に学んでします」
私生活では、息子さんが成人し、自身も今年で60歳になるなど、大きな節目を迎える。
「息子は、歌番組に出ていたころの私の姿は知りません。でも大好きな音楽の話になったとき、『お母さんのは大昔の音楽だよね』なんて言われたことがありましたっけ(笑)。私自身は還暦ですが、これまで芸能界でも子育て中も走り続けてきたので、逆に還暦の1年間は、休みたいときはお仕事を休む選択をしてもいいかなと思っています」
もちろん、毎年通い続けている被災地での支援コンサートは、今年も春に予定されているそうだ。
「被災地のみなさんとご一緒に歌うのはもちろんですが、子育ての悩みを言い合ったり、郷土料理を教わったりと、お母さん同士の交流の時間も楽しみにしているんです」
歌の力を信じて、今日も久米さんは、譜面を手に、音楽を待つ人たちのいる場所へと向かう。