(提供:岩谷時子音楽文化振興財団)
「2人の関係を一言で表現するなんてできません。戦友、姉妹、母子、友人であり、ときにはタレントとファンの関係でもありました。“誰も立ち入れない”特別な結びつきを感じましたね」
こう話すのは、岩谷時子音楽文化振興財団理事で音楽プロデューサーの草野浩二さん。
『愛の讃歌』『サン・トワ・マミー』など、数々の名曲を世に送り出した越路吹雪さん(享年56)。そしてマネージャーとして彼女を支えた作詞家の岩谷時子さん(享年97)。2人の足跡と友情を描いた帯ドラマ劇場『越路吹雪物語』(テレビ朝日系)が主婦の間で話題になっている。
そんな2人の特別な結びつきを、草野さんと、晩年の岩谷さんを取材した評伝『歌に恋して』の著者で音楽評論家の田家秀樹さんに語ってもらった。題して、ドラマでは伝えきれないであろう“真実の越路吹雪物語”。
■越路さんのために何度もラブレターを運んだ
「岩谷先生は、よくラブレターを運ぶ“恋の飛脚”をしていました」(草野さん)
岩谷さんの著書『夢の中に君がいる』には、こうつづられている。
《私は彼女の恋には全く無関心で、せんさくする気など皆無だった。彼女だけの世界の出来事なので、頼まれた郵便をポストに入れるような気持ちである》(以降《 》内は同書より引用)
越路さんは昭和34年、作曲家・内藤法美さんと結婚。2人の間を行き来したのも、岩谷さんだった。
■夫も嫉妬するほどの“知りすぎている”仲
内藤さんは当時、作曲家、ピアニストとして活躍していたが、音楽業界では、越路さんと岩谷さんのほうが格上だった。
「しかも2人には、夫でさえ立ち入れない、強い絆があります。内藤さんは岩谷さんに対し、嫉妬心にも似た、複雑な思いを抱いていたのではないでしょうか」(田家さん)
敏感に察した2人は、こんなやり取りをしている。
《「内藤さんは私が嫌いなの?」「ごめん、時子さんが自分より早い時代から私を知っているのが、嫌らしい」》
越路さんはいい奥さんになろうと夫に尽くした。一方、越路さんの不眠症のことは常に気にかけていた岩谷さんだが……。
「夫婦の生活とは距離を置いていたため、越路さんの自宅で先生を見たことはありません。でも、越路さんは不眠症を抱えたままで、特に公演中は眠れない……。夜は、ボクら若手のレコード会社のスタッフがお邪魔してね。越路さんは睡眠薬とお酒を飲んでリラックスした状態でマージャンをすると、途中でことんと眠りに落ちる。そんな越路さんを寝室に担いで、そーっと帰るのが仕事でした」(草野さん)
■胃がんで早世。葬儀の日も“付き人”に徹した……
昭和55年、越路さんが胃がんのため入院。病名は本人には知らされず、岩谷さんは内藤さんからではなく、越路さんの親族から真相を知った。岩谷さんは見舞いの際も、ベッドサイドで看病する内藤さんに遠慮するように、顔だけを見せる程度だった。
同年11月、越路さんは56歳の若さでこの世を去った。葬儀では、家族席に座ってもおかしくないほどの間柄だった岩谷さんだが、会場に入りきれない弔問客を控室に案内する役目を買って出た。
「最後までマネージャーとしての役割に徹したかったのでしょう」(田家さん)
■“大切なもの”を守るため無報酬を貫いた!
岩谷さんは、越路さんとの出会いから別れに至るまでの約40年間、“越路ファースト”の姿勢を崩さなかった。
「“越路吹雪のマネジメント”については、一切報酬を受け取らなかったと聞いています。控えめで、人前で歌うことが苦手な岩谷さんにとって、舞台でスポットライトを浴びる越路さんは、自分の夢や憧れを叶えてくれる存在だったんでしょうね。そこにビジネスや打算を持ち込まなかったからこそ、岩谷さんは生涯無報酬を貫いた。自分のいちばん大切なものを守ろうとしたんだと思います」(田家さん)