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現在公開中の『北の桜守』(滝田洋二郎監督)で、映画主演作が120本という節目を迎えた吉永小百合さん(73)。この作品は、『北の零年』(’05年)、『北のカナリアたち』(’12年)に続き壮大な北海道を舞台に描かれる“北の三部作”の完結編でもある。

 

吉永さん演じる“江蓮てつ”は、出征した夫の形見のようにして庭の桜を守っていた。太平洋戦争末期には樺太から息子と共に北海道に引き揚げる。戦後は極貧の生活を送りながらもたくましく生きていく。息子役で堺雅人、その妻に篠原涼子、夫役で阿部寛らが共演している。

 

映画デビューして59年。節目で支えてくれた“共演者”について、吉永さんは印象に残っているエピソードを語ってくれた。

 

’62年の『キューポラのある街』では史上最年少(18歳)でブルーリボン賞主演女優賞にも輝き、日本中に“サユリスト”を生んだ。一方で、20代に入っても、清純派のイメージが消えずに、吉永さんは女優としての方向性に悩み、スランプに陥った。

 

このころに、共演したのが渥美清さんだった。

 

「私自身、女優として大人の表現を模索していた時期でした。同時に、テレビにもたくさん出るようになり、心身に疲れがたまっていたのでしょう。あるとき突然、声が出なくなってしまったんです。そんなときに、『男はつらいよ 柴又慕情』(’72年)のお話をいただくんです。まず、あの渥美さん独特の淡々としたたたずまいに圧倒されて。そうしたら撮影の合間に、渥美さんがアフリカロケに行ったときの話をしてくださって」(吉永さん・以下同)

 

《夜空を見上げりゃ、満天の星が無数に瞬いていて、これが降ってくるようでねーー》

 

「例の名調子で語って、最後に『役者なんて、さだめのないものなんだよ』と。ポツリと、おっしゃったとき、ああ、いまの生活を変えなきゃと思うんです。で、当時、のちに夫となる男性とお付き合いしていたんですが、ちょうど『女性自身』さんに見つかって(笑)。それが逆によかったといいますか、もう結婚するしかないと、私から押しかけて、生活を変えることができました」

 

山田洋次監督(86)も「とらやに遊びにくるような気持ちで、セットに入ってください」と、温かく受け入れてくれたという。

 

「このとき感じたのですが、私、山田監督には予知能力があると思っているんです(笑)。というのも『柴又慕情』で演じたのが、当時の私と同じように思い悩んだのちに結婚する女性だったんです。監督に相談はしていませんから、本当に不思議な気持ちでマドンナを演じていました」

 

15歳年上のテレビ・プロデューサーの岡田太郎さんとの結婚は、渥美さんとの共演のちょうど1年後だった。女優として最もつらい時期を支えてくれた夫との結婚生活は、今年で45年目となる。

 

「夫は退職後、朝にはコーヒーを入れてくれたり。というのも、私、朝がぜんぜんダメなんですよ、寝坊で(笑)。夜も、彼が好きなワインに合わせた料理を作ってくれたり。結婚当初はお茶も入れない人でしたから、まさかこの年齢になって“主夫業”をやってもらえるとは、本当にありがたいですねえ(笑)」

 

“寅さん”との出会いや結婚を経て、再び映画への情熱を取り戻した吉永さん。やがて高倉健さんと『動乱』(’80年)で初共演する。

 

「最新作の『北の桜守』の舞台は北海道ですが、『動乱』でも、北海道ロケの思い出があります。サロベツ原野で、私が長襦袢一枚で雪原に倒れるシーン。昼休みには極寒に耐えられなくて、ロケバスに駆け込みました。ふと外を見ると高倉さんが一人、吹雪の中に立っていらして。二・二六事件の将校の役作りで、ご自分の気持ちを持続させるためだったんですね。この北海道での撮影の日々を通じて、高倉さんの映画作りにかけるストイックな姿勢を見せていただいたことは、その後の私の女優人生でも貴重な体験でした」

 

名優2人の演技は高い評価を得て、早くも2年後には『海峡』(’82年)で2度目の共演を果たした。

 

「たしか青森県の竜飛崎での撮影後に、結髪さんの部屋で茶話会みたいになって。すると、高倉さんは前のときとは打って変わって、とても冗舌におしゃべりされてたんですね。ですから、その流れで、高倉さんに『腹筋は1日に何回やれば、その体形を維持できますか』と尋ねたんです。そうしたら、『100回やれば、キープできますね』と。以来36年間、今日まで、私も腹筋100回を続けています。ただ最近は、トレーナーの指導を聞いて、十数回やったら30秒休むという、私なりのやり方に変わりましたが」