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「子どものころさ、よく遊びに連れていってくれたよね? 幼稚園や小学校、ズル休みしてね」

 

口元に笑みを浮かべながら、40年近く昔のことを懐かしそうに話す息子。母は大げさに首をかしげてみせた。

 

「えー、ズル休み? ホントにそんなこと、あったっけ?」

 

とぼける母に、息子はあきれたと言わんばかりに「何言ってんの、あったじゃんよ!」と反論する。

 

詰め寄る顔には、それでも柔和な笑みが浮かんでいる。やがて母は観念したのか、いたずらがバレた幼な子のような表情を浮かべ「あったね……」とつぶやいた。すると次の瞬間、親子は顔を見合わせ「ハハハハッ」と声を上げた。

 

笑い合う2人は俳優・浅野忠信さん(44)と、その母・順子さん(67)。

 

息子の肩をたたいて、楽しそうに笑う順子さん。重ね着したニットに、大ぶりなチェック柄のオーバーオールというラフで若々しい装いが、ほっそりとした体と、長い手足によく似合う。カジュアルなスタイルのなか、首元に巻かれたモノグラムのストールがいっそう映えて見えた。

 

「中学生のころかな、友達は『もう親が買ってきた服なんてダサくて着れねえよ』って言ってたけど。僕は母がくれるライダースジャケットとかラバーソールとか古着とか、むしろ喜んで着てましたね。ファッションだったり、音楽だったり、そういうセンスという面は、母からの影響が、とても大きかったと思います」(忠信さん)

 

忠信さんの言葉に、順子さんはうれしそうに「うん、うん」とうなずいている。ところが……。

 

「でも、幼い僕と兄ちゃんを家に置いて、夜中に父と踊りに出かけちゃったり……とんでもないっていうか、ちょっと普通じゃない母親ではありましたよね(笑)」(忠信さん)

 

「普通じゃない母」は神奈川県横浜市で生まれ育った。ベトナム戦争真っただ中の’60年代後半。米軍住宅が林立し、米兵であふれかえった本牧や中華街が彼女の青春の舞台。10代のころの順子さんは“武勇伝”がいまに語り継がれるような不良少女だった。

 

若くして結婚し、2人の男の子に恵まれた。長男・久順さん(46)は音楽の道に進み、弟の忠信さんは、国内外で数多くの映画賞を受賞。いまや個性派の名優として評価も高い。

 

「子どものころの僕の頭の中に面白いものを組み立ててくれたのは母だと思う。それが、いまの僕の核になってるのは、間違いないと思います」(忠信さん)

 

順子さんは20歳で1歳上の大学生・佐藤幸久さん(68)と結婚。21歳で長男を出産。さらに、23歳のとき、次男・忠信さんが誕生した。ぶっ飛んだ10代を卒業した順子さん。結婚後は一転、家庭に入り、長く専業主婦として過ごす。

 

「私、仕事ってのが苦手なのよ。決まった時間に出社するとか無理、って(笑)。そもそも飽きっぽいの。(佐藤さんと)離婚した後は仕事もしたよ。だけど、3年と続かないのよ(苦笑)。でも、主婦業だけは23年間、子どもたちが成人するまで、きっちりやりました」(順子さん)

 

夫や子どもたちの食事の世話もかいがいしくこなした。それでも服のセンスなど、よその奥さまとは、やはりどこか違っていた。

 

「エプロン姿で外なんて絶対歩かなかったからね。当時はベルボトムのジーンズにへそ出しってスタイルが主だった。その格好で買い物や、子どもの授業参観も行ってた」(順子さん)

 

忠信さんが幼いころ、夏場になると、近くの公園に極小ビキニの若い女性が出没するという噂が広まった。もちろんそれは順子さんだった。

 

「忠信を幼稚園に送りに行って。お迎えまでの時間、体を焼いてたのよ。それでお迎えに行くと、ほかのママさんたちから『忠信くんのママ、真っ黒!?』って驚かれたね(笑)」(順子さん)

 

忠信さんは少年時代をこう振り返る。

 

「母親に『普通のママがいい』なんて言って困らせたこともあったんですけど。でも、いま思うと楽しかったですよ。当時は賃貸の一軒家とかに住んでたと思うけど。引っ越すとすぐ、母がペンキで部屋の壁とか塗り始めるんです。僕ら子どもも一緒になってペンキまみれになって、壁に大っきな絵を描いた。ね、やっぱり普通じゃないですよね(笑)」(忠信さん)

 

冒頭で忠信さんが突っ込みを入れた、ズル休みして遊びに出かけるエピソード。後日のインタビューで改めて問うと「本当に休ませたかな?」と相変わらず首をひねる。そして、こう釈明した。

 

「でもまあ、行ったのかもね。いつも使えるわけじゃない車がたまたま家にあったとか、天気がものすごくいいとか、そんな日は『学校なんて行ってる場合じゃないよ』って気持ちになってたからね。『たかが1日、学校休んだって、この日の夕日を見るほうが何倍も子どものためになる』って信じてた。だってさ、人間、心の底から感動することって、そうそうないからね。年齢重ねれば重ねるほど感動は薄くなっちゃうしさ。だから子ども時代の感動は、学校の授業はもちろん、何物にも代えがたいと、そんな偉そうなこと考えてたかもね」(順子さん)

 

そのとき息子に与えた感動が、のちの名優・浅野忠信を生んだのかもしれない。

 

「若いころからけっこう自分勝手な生き方してきちゃったけどさ、子どもたちにとっても、けっこう楽しい家だったと思うよ。そういう家庭をつくれたってことだけは、自信もって言えるかな」(順子さん)

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