「先日、6回目の抗がん剤治療が終わりました」と電話越しに語るのは、古村比呂(52)。現在彼女は3度目のがん闘病の真っ最中。だが、その声は元気にあふれていたーー。
古村は11年に健康診断を受けた際、初期の子宮頸がんが発覚。翌年3月に手術を受け、子宮を全摘出した。だが昨年3月に再発が判明。彼女は抗がん剤治療と放射線療法を受けたが昨年11月、肺とリンパ節に再びがんが見つかった。今年2月、がんとの共生社会を目指すイベント「ネクストリボンプロジェクト2018」で古村は涙ながらに再々発を公表した。
現在、28回におよぶ放射線療法と6回にわたる抗がん剤治療を行ってきたという。抗がん剤の副作用によって、髪は抜けてしまった。ブログには日々の過酷な治療のようすが綴られている。それでも彼女はあくまで前向きなのだ。本誌の取材にもこう続ける。
「“がん=死”ではなく、がんとともに生きていく。それが不可能ではない時代になってきていると感じています。というのも、私が今回受けているのは分子標的薬が加わった療法。ピンポイントにがん細胞を兵糧攻めにするものですが、昔は高額な費用がかかっていました。最近それが保険適用になったことで、私でも受けられるようになったんです。これは最初にがんを発症した7年前には、考えられなかったことだと思います」
そんな古村を支えてくれているのが、3人の子どもたちだ。08年に離婚した彼女は現在、長男(25)や三男(20)とともに同居中。次男(24)はひとり暮らしをしているが、折に触れて母を気遣ってくれるという。
「昨年、放射線治療に通っていたときのことです。次男に『しんどい』とメールを送ってしまったことがありました。そうしたら次男が『そんな日もあるよね』と返信をくれたんです。治療を続けていると、つい自分だけがつらいと思ってしまいがち。でも次男の言葉を聞いたときに『しんどいのは私だけじゃないんだ』と思えて、気持ちが軽くなりました」
同居中の長男と三男も、闘病中の母を当たり前のように迎えてくれるーー。それが、彼女の「しんどい闘病」を「明るい生活」に変えてくれるようだ。
「治療の副作用なのかイライラすることがあって、鍋を叩きつけたことがありました。そうしたら三男が近づいてきて『やっちまったね』と言いながら金づちで直し始めたんです。結局きれいには治らなかったのですが、『もうちょっと角度良くぶつけてくれたら直せたのに』と言われたんです。その言葉にも救われました。長男も仕事が忙しいのですが、それでもいっしょに暮してくれています。3人の息子がいるから私は生きていける。諦めるという選択肢はもう消えました。病は気からとは言いますが、私もそれを実感していますね」
そしてもう1つ、彼女の心の支えになっているものがある。それは「自分と同じようにがんと向き合う人たちのサポートをしたい」という思いだ。
「これまで私はがんの経験を生かせないかと思い、がんの後遺症に悩む人たちとの交流会を2年ほど続けています。その経験から、別のことも考えています。それは“がん経験後の生活の質をケアする商品”を作りたいというもの。がんだからといって、やりたいことを諦める必要はどこにもない。がんの治療をしながらでも、自分のやりたいことをやっていける。そんな社会にしていきたいなと思っています」