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人生100年時代を自分らしく生きるための手段としての「再キャリア(セカンドキャリア)」という選択。最近、子育て後に再ブレークする読者世代の芸能人が目立ちます。かつてよりも“共感度”を増した彼女たちに、仕事復帰までの道のりと今の心境について聞きました。

 

「ある日、夕食を作りながらリビングのテレビを何げなく見ていたら、『ダンシング・ヒーロー』がかかって、平野ノラちゃんが登場。一瞬で目を奪われました(笑)。昨年、テレビ番組での共演を機に、連絡を取り合う仲に。登美丘高校ダンス部のダンスはインパクトがあって発想も素晴らしい。私の曲を100倍くらいキレッキレにして、ノックアウトされました」

 

そう語るのは、歌手の荻野目洋子さん(49)。『ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)』が、平野ノラの“バブリーネタ”に使用され、’17年には大阪府立登美丘高校ダンス部とコラボ。ご存じのとおり、昨年末は歌番組などで引っ張りだこ状態となり、再ブレークを果たした。

 

そんな荻野目さんは’01年にプロテニス・プレーヤーの辻野隆三さんと結婚し、3姉妹のママに。夫がテニススクールを経営するため、山梨に一時移住。’02年に長女を出産してからの4年間は育児に専念し、「再び歌うことはないと思っていた」と言う。

 

「この業界は人気商売だし、露出が減れば忘れられていく。どんなにやりたくてもニーズがなければできない仕事だと十分にわかっていたので」

 

ビクターから声をかけられ、’05年に仕事復帰したが、翌年に3人目の子どもを授かった。そのとき、荻野目さんは腹をくくった。

 

「子育て中は自分ではどうしようもないことが多発します。予定を立てていても、子どもがグズったりギャン泣きしたり、思いどおりにいかないことばっかり(笑)。若いころの自分は頭で考えすぎて『これはできない』と自分で限界を決めていたけれど、子育てを通して今やらねばいつやるんだ、当たって砕けろ、何でもやってみなきゃわからないと思えるようになったんです」

 

休業中も「ミュージシャンなんだから、絶対に歌ったほうがいい」と言ってくれた夫の後押しも心強かった。そんな夫が関わるテニスのイベントからも「歌ってほしい」とオファーが。

 

「テニスコートで歌うのは完全にアウェー。観客はテニス観戦をしに来たのであり、誰も音楽を聴きに来たわけではない。そんななかで歌うのも、いい経験になりました。ウィンブルドンでは雨で試合が中断したときに、観戦しに来ていたエルトン・ジョンが『雨に唄えば』を歌いだして会場が和んだという話を夫に教えてもらいました。どこでも歌えるのが真の歌い手だと思いますし、夫のおかげで考え方が柔軟になりました」

 

約20年ぶりのソロライブで曲順や演出を自分で決めたことも、仕事の姿勢が変わったきっかけに。

 

「失敗しても、すべて自分の責任だと思ったら、すごく楽しめました。若いころは欲張りで理想が高くて、『でも今の私は全然できていない』と現実とのギャップに苦しんでいたけれど、今はやれることをやろうと。無理をせず、等身大の私でいいと思っています」

 

家族の後押しがあったからこそ、再び歌い始めた荻野目さん。

 

「だからこそ、以前よりもっと輝かしい自分でいなければ意味がない。自分が楽しんでいれば、その姿を見た家族も『お母さんが楽しそうだから、自分も頑張ろう』と思ってくれるかな

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