創刊60周年の節目の年を迎えた『女性自身』。60年にわたる歴史のなかで、華やかに誌面を飾ってくれたスターや、女性の新しい生き方を提示してくれた有名人を再訪。“『女性自身』と私”の思い出を語ってもらいました!

 

「『女性自身』は、私と一緒に育ったようなものです。東京生まれの私は、東京タワーが建設されるのを見て育ちましたが、その完成が’58年、つまり『女性自身』の創刊の年。そして私が、インドネシアを初めて訪問したのが翌年ですから。あのころ、大統領夫人となった私が雑誌に出ると、売れたんです。それにしても、週刊誌には、ずいぶんいろいろなことを書かれましたね。私は外国にいるので、書かれ放題。まるで、辻斬り強盗に遭ったみたいに、真っ暗闇のなかで後ろから袈裟斬りにされたようなこともありました(笑)」

 

創刊当時から現在まで、幾度となく本誌に登場してくれているデヴィ夫人(78)が、インドネシアのスカルノ大統領と結婚し、インドネシア国籍となったのが’62年。一般市民から、突然、大統領夫人になるというシンデレラストーリーに日本中が沸いたが、デヴィ夫人自身は、秘めた覚悟を持っての結婚だったと語る。

 

「私が大統領夫人になったと実感したのは、外国で飛行機を降りると、空港に赤いじゅうたんが敷きつめてあり、お迎えの人たちが行列をなしているのを見た瞬間。私が学生だった当時の日本ではまだテレビも普及していなくて、私は世界文学全集を読んで青春時代を過ごしたものでした。なかでも印象的だったのが、シュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』。そこに、アントワネット随一の罪は、“女王としてではなく、女性として幸せになろうとしたこと”と書いてありました。それを覚えていて、私は“女性としてではなく、大統領夫人として国家と国民のために生きる。そして大統領のために、全身全霊をかけてお尽くししよう”と決心したのです。そう考えたとき、今まで重ねてきた苦労の意味に気付くんです」

 

そう言って、自身が育った戦後の昭和について振り返る。

 

「敗戦後の食糧難はじめ、定時制高校中退後すぐに働き始めたときも人の3倍勉強し、3倍働き、3倍努力して、人の3分の1の睡眠で頑張ってきました。ですから、『夫人はラッキーね』と言われると心外です。1日が30時間、1週間が10日というくらい、よく学び、よく働き、よく遊びました。私が幸運だとしたら、戦争と貧しさの経験があること。貧しさとは、イデオロギーとパワーの根源ですよ。戦後、みんな貧しかったけれども、私は母と弟を養いながら、勉強し、働きました。でも、そうした大変な経験は、大統領と出会ってから待ち受けていた、とてつもなく大きな苦難に打ち勝つため、神さま与えてくださったんだと知るんです」

 

結婚から3年。インドネシアで起きた、状況が二転三転した軍事クーデターで、夫のスカルノ大統領が徐々に失脚、夫人は、命の危険にさらされながら、故国・日本へ、そしてパリに亡命。

 

「大統領夫人ではなくなったと感じたのは、飛行機を降りたときに、あの赤いじゅうたんがなかったこと。“ああ、私は普通の人になったんだ”と痛感させられました。今はもう慣れましたけどね」

 

最後に最近の芸能界について、どう思うかを聞いてみた。

 

「先ごろ国際的な話題になった中国のファン・ビンビンさんなどは華やかと思いましたが、日本の方々は総じて地味な印象ですね。『女性自身』のグラビアでも、ロングドレスが似合う女性が少ない。『女性自身』のためにも、日本を元気にするためにも、女性のみなさんたちは頑張って華やかにオシャレを楽しんでほしいですね」