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梅津貴昶は中村勘三郎、坂東三津五郎をはじめとした歌舞伎俳優だけでなく、東山紀之、滝沢秀明らジャニーズタレントに絶大な信頼を寄せられる舞踊家だ。

 

2月20日に発売となった梅津貴昶の著書『天才の背中』(光文社)より、歌手・俳優の東山紀之との対談の一部を紹介する。そこでは、東山が日本舞踊に触れた初めての印象が明かされていた。

 

梅津 早速ですけれど東山さん、この写真、覚えてます? なんとなく覚えてるでしょ?

 

東山 家元と二人で、たしか森光子さんに撮っていただいたものですよね。

 

梅津 そうです。それでね、いまマネジメントをお願いしてる人が先日この写真を見てね、「わぁ、東山さん、お若いけど面影ある、素敵」って言うのね。そして次に、隣に写ってる私を指差して「これ、誰?」って(笑)。私、思わず「あなた、もう帰って」って言っちゃった(笑)

 

東山 ハハハハ。家元と最初にお会いしたのは、もう三〇年も前なんですよね。あれは僕がたしか二一歳のときでした。五代目坂東玉三郎さん演出の『なよたけ』という舞台の前でしたね。僕があまりに和の所作を何もできないということで、舞台稽古の前に、まずは家元に見ていただこうと。ある程度、着物での所作などの形を作らないと、舞台が務まらないからということでした。

 

梅津 そうでしたよね。ローラースケートを履いたり、ジャズで踊ったりする舞台とは違いますからね。当時からダンスがお得意でしたが、まだ若手という感じでしたよね。だけど、その舞台を機に少しずつ、お芝居に、日本のものもやっていこうか、そういう時期でしたね。

 

東山 そうです。

 

梅津 たしか、あれは日生劇場でしたね。毬谷友子さんが「なよたけ」、仲谷昇さんがお父さんの「石ノ上ノ綾麻呂」、そして、東山さんが「石ノ上ノ文麻呂」ね。そうそう、まず、私のところに、玉三郎さんからお電話があって。それから御社からも直接、お願いにいらしたの。これが最初のご縁ですよね。

 

東山 そうでした。いわゆる日本舞踊の独特な「静」の踊りに対する戸惑いがありました。家元のような方からマンツーマンの指導を受けるという機会も、それまでなかなかなかったものですから。最初はやっぱり対応に苦慮してしまいました。

 

梅津 そう、なんだか最初は戸惑っていらした。

 

東山 でも、家元はそんな僕に、きちっと基礎から教えてくださいました。あの経験がなかったら、やっぱり、その後にいくつも出演させていただいている時代劇の道を進むということは、難しかったんじゃないかなと思います。いまとなっては、とてもいい経験をさせてもらったと痛感していますし、その経験がまた、森光子さんとの初めての舞台共演につながっていきました。僕が日舞を学んでいるということで、橋田(壽賀子)先生がオリジナル脚本を書いてくださいましたから……。ですから、家元との出会いが、僕の人生に広がりを持たせてくれたものと確信しています。本当に、ありがとうございました。

 

【INFORMATION】

 

『天才の背中~三島由紀夫を泣かせ、白洲次郎と食べ歩き、十八代目中村勘三郎と親友だった男の話。』

価格:1,500円+税
出版:光文社
https://www.amazon.co.jp/dp/4334950736

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