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「心機一転、引っ越しをしたばかりなんです。広いところから狭いところに移ったので、荷物が入り切らなくて。本や資料だけでも手元に置いておくものと大学に寄付するもの、田舎に送るものと、選別できていない段ボールがまだ50箱もあって。新居では開くところもないありさまなんです。元劇団員たちが土日に来てくれますが、この分では1年以上かかりそうです」

 

そう苦笑する渡辺えり(64)。昨年創立40周年を迎えたオフィス3○○(さんじゅうまる)を主宰、日本劇作家協会会長も務める彼女は『ぴったんこカンカン』(TBS系)などテレビ出演に加え、現在も大阪松竹座の『三婆』に出演するなど精力的に活動。私生活では4月に23年間連れ添った俳優・土屋良太(52)と離婚したばかりだ。

 

「今、64歳なのですが、今年から初めて本気で終活を考え始めました。きっかけは、やはり両親です。父が93歳、母が89歳で体は健康なのですが、2人とも認知症を患っています。症状は父が軽く、母が重いため、今、地元・山形で別々の老人ホームに入っています。山形新幹線で片道3時間で往復できるようになりましたから、毎月、日帰りでも時間をつくって帰るようにしています」

 

山形には弟夫婦が住んでおり、下着の替えやさまざまな手続きは弟夫婦にやってもらっているので助かっているそう。

 

「切ないのは毎月帰っても、『ほんとに久しぶり!』と言ってくること。父は2日続けて行ってもそういう感じなんです。こないだも、外に車いすを押して行ったらすごく喜んでくれて。つらいのは、父も母も帰るときにすごく悲しい顔をするんですよ。『帰らないでくれ』って」

 

父親が入居している施設は広く、介護士たちはみんな朝から晩まで立ち働いている。

 

「たくさんいるから私の父の部屋を尋ねても知らないんですね。交代でやって広いから仕方がないですが。父は教師だったので『学校みたい』とか言うんですよ。心配になって『大丈夫?』と聞いたら、軍需工場で働いていた当時と重なって、『1人で寮に入ってたんだから、今も我慢できる』って。我慢っていう言葉が出るのは正直切ないです。年とったら、自宅で多少、だらしなくしたいじゃないですか。でも集団生活だとそれが規制される。自分が認知症になったら耐えられるかなとか思ったり。ずっと苦労かけっぱなしでこうなっちゃったと思うと、やりきれないですよね」

 

痛感したのは、介護する人の人柄で症状が変わるということ。

 

「ニコニコと話しかけてくれるところでは、母もニッコニコなんです。でも、全然話しかけてくれない人だと、暗くなってしまう。認知症でなくてもそうじゃないですか。黙って無表情でいられると心が冷えて気がめいってきますよね。いつでも声をかけ、ポンポンと直接触って接してくれる。花でも水やらないと枯れてしまうでしょ」

 

後悔はたくさんあるが、ひとつだけ、両親にやっておいてよかったなと思うことがあると渡辺は語る。

 

「15年前、母親から急に『どうも認知症になりそうだ』と電話があったんです。今までこうしてくれとか何も言ったことがなかった母親が、初めて。『元気なうちに、旅行に連れてってくれ』と。行きたいところを聞いたら、伊勢神宮と出雲大社と、日光東照宮と広島の原爆資料館の4つ。それで必死に10日間休みをつくったんです。そのときはまだ両親も元気で、移動の際も私のトランクを持って走ってくれて、すべて時間どおり、間に合ったんです。母親と一緒に露天風呂に入って背中を流し合ってね。本当によかった。当時の写真は母もいまだに喜んで見ています」

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