アンナ語る故・梅宮辰夫さん「“スーパーマン”だった父の変貌」

「自分の腎臓を1つ、父に使ってほしいと思って、父と一緒に主治医の先生に相談しました。でも、認められなくて……」

 

大きな瞳をまっすぐに向けて、梅宮アンナさん(47)は、最愛の父について語り始めたーー。

 

’19年12月12日に、慢性腎不全で亡くなった俳優の梅宮辰夫さん。享年81。’73年、36歳のときに睾丸がんにかかり、’16年には十二指腸乳頭部がん、’19年1月には腎盂・尿管がんなど、生涯6度ものがん手術を受け、80歳を超えてから、週3回、4時間にもおよぶ人工透析治療も行っていた。

 

「父はもともと腎臓の片方が小さかったんです。それなのに元気なほうの腎臓に、がんができてしまって……。透析もつらそうだったし、『私の腎臓を』と考えたのですが、先生から『(辰夫さんは)がん体質なので、移植をしても半年しかもたないこともある』と」

 

亡くなる前の4年間を寄り添いながら乗り越えてきた梅宮さん一家。しかし、温厚だった父は、病状が進むにつれ、言葉がキツくなっていく。

 

「それまで父は、誰に対しても『いいよ~』と度量が大きく、相手に何かを強制するようなことはしなかった。むしろ相手に合わせて、自分のほうから変わろうとするような人でした。私たち家族にとっても優しい“スーパーマン”だったのです。でも、4年前に十二指腸と胃の半分を摘出してからは、体重が増えず、体がいつも冷たくて、手も氷のようでした。夏でもエアコンの設定温度を30度にしておかないと『寒い』というくらい。それで私が思わず『暑い』と言ってしまうと、『だったら帰れ! ここは俺ン家なんだから帰れ』とキレるんです。優しかった父の性格や言葉がどんどん変わっていく……その様子を見るのがつらかった。悲しくて、真鶴の両親の家から東京に帰る車の中で泣きました」

 

それでも、「世の中には介護で、もっと大変な人もいる」と、自分に言い聞かせていたという。

 

「亡くなる前日には、父は自分の“下のこと”も、わからなくなってしまいました。言葉が変化し、下の世話が必要になり、これからは認知症も入ってくるのだろうか。介護はただならぬものだなと思っていた矢先に、父は亡くなったのです。『元気じゃないのに長生きしてもしょうがない』『人に迷惑をかけてまで生きていたくない』と、生前よく言っていた父。尊厳死について書かれた本も読んでいて、私にも話してくれていました」

 

だから、その日を迎える「覚悟と心の準備はできていた」と、アンナさん。葬儀は近親者のみの密葬形式で、約100人が参列して執り行われた。

 

「女性自身」2020年3月10日号 掲載

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