松岡は、元メンバーの山口達也(48)にも長瀬の退所と新会社設立を21日に報告したことも明かしてくれた。長瀬の来春退所を受け、城島・国分・松岡が本誌だけに語ったTOKIO26年間の本音――。
デビューから26年、城島、国分、松岡の3人によれば、ここに至るまで「TOKIOの危機は結構あった」と口をそろえる。
国分「1人1回くらいはあるんじゃないですか。辞めたいとかもう解散したいとか。僕もデビュー5年目くらいで“もうちょっとヤだな”って思ったときもありました。全速力でずっと仕事をしていると、追いつかないときもあるんですよ。僕ら幸せなことに若いころからピンの仕事もやってたりするので、そこのバランスの取り方がわかんないままやって。そんなことを繰り返して26年続いてきたので」
松岡「僕も20代前半のときかな。いつもいることが当たり前なものがナアナアになってきたことへのイライラが。夫婦もそうだと思うんですけど(笑)。決して大人になれてなかったので、『ふざけんな、そんなん俺ができるわけねーだろ!』と思いながらやってました」
国分「俺、それ覚えてる(笑)」
城島「当時、10代の人間もいたり、自分も20代前半だったり、みんなヤンチャだったんで、ルール作っても守れるわけないっていう考えもあって。ただ5人集まったときにルールに縛られるようなグループじゃないほうがいいなっていう思いはちょっとありました」