当時の女性たちの憧れそのものだったアレックス /(C)PARAMOUNT PICTURES/Ronald Grant Archive/Mary Evans/共同通信イメージズ 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に影響を与えられた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、「’80年代」を振り返ってみましょうーー。

 

「私にとって“忘れられない’80年代”といえば、高校時代に映画館で見た『フラッシュダンス』(’83年)。あの作品に出合わなかったら芸能界に飛び込む勇気は持てなかったし、いまの自分はなかったって思うんです」

 

こう語るのは、女優の羽野晶紀さん(52)。小学校のころはいわゆる“カギっ子”で、青果店を切り盛りする共働きの両親が帰宅するまで、テレビをつけっぱなしにして待っていたという。

 

「学校から帰ると毎日、お風呂洗い、夕飯の下ごしらえなど、親に言われたことを済ませながら、両親が帰ってくる夜の7時半ぐらいまで、ドラマの再放送を中心に見ていました」

 

両親が帰宅すると、チャンネル権を握る父親は刑事ドラマ、羽野さんは歌番組、と意見が分かれることもあったが、一家が共通して楽しみにしていたのは、土曜の夜8時からの『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)と、続く9時からの『Gメン’75』(’75〜’82年・TBS系)だった。

 

「世界観がすごくカッコよかった『Gメン』は、芸能界への憧れを抱くきっかけにもなりました」

 

中学時代には松田聖子や中森明菜、小泉今日子といったアイドルが続々とデビューし、その思いはますます強くなっていく。

 

羽野晶紀 芸能界入りのきっかけは’83年『フラッシュダンス』
画像を見る 大学生時代の羽野さん。宇治川にかかる宇治橋をバックに

 

「それで中3のときに、父に『私も芸能界に入りたい』って言ってみたんです。当然『何を言っているんだ!?』という反応で、芸能界のことをよくわかっていないものだから、『宝塚歌劇団に入らなければ、芸能人にはなれない』と。父にしてみれば、小柳ルミ子さんのように、スターは宝塚で学んで、なる職業だと思っていたみたいです。今のようにスマホで簡単に情報を得られる時代ではなかったから、私も父の言葉を信じ、高校受験時の面談で、先生に『宝塚音楽学校を受けたい』と話してみたんです。そうしたら『もうとっくに願書を締め切っている。そういうことは早く言いなさい』と。すごくがっかりしたのを覚えています」

 

芸能界をあきらめかけたそのころ、映画館で見たのが『フラッシュダンス』だった。

 

物語はダンサーを夢見る18歳の女性が主役。養成所のオーディションにチャレンジしたいが、バレエ経験がないために臆してしまう。だが、さまざまな人との出会いと別れのなかで成長し、オーディションに臨むというもの。

 

「倉庫みたいなところで、大きな犬と一緒に生活するっていう主人公の暮らしぶりも、10代の私にはカッコよく映りました。今では“そんなことはないだろう”って思えますが(笑)」

 

そしてなにより、映画の主人公と自分自身を重ね合わせることができたという。

 

「芸能界への唯一の登竜門と思い込んだ宝塚音楽学校へは願書すら出せず、バレエも音楽の経験もなくて、“私には何もないな”って思っていたけれど、チャレンジする主人公の姿を見て、すごく勇気がもらえたんです」

 

「女性自身」2021年6月1日号 掲載

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