住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやった歌やドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「私のコンサートでは、お客さんとの距離を縮めて一緒に盛り上がるため、みなさんの知っている曲をカバーするコーナーがあるのですが、ジャジーな『SWEET MEMORIES』(’83年)はよく歌わせてもらっています。聖子さんの曲をカバーするとどうしてもモノマネになってしまうことが多くて……。でも、この曲は、“自分らしく”歌えるんです」
そう語るのは、歌手でタレントの森口博子さん(53)。歌手になることは、4歳からの夢だったという。そんな彼女は、中学3年の時に応募したNHK『勝ち抜き歌謡天国』(’84〜’86年)で優勝、後に全国大会で準優勝し、芸能界への足掛かりをつかんだ。
「私の歌声を聴いたキングレコードのディレクターの方にスカウトされ、突然、デビューが決まったんです。高校受験を控えていて、最初はその番組に出演しない予定でしたが、母が後押ししてくれて。あのときあきらめていたら、と思うと」
高校2年の2学期に地元福岡から上京し、『機動戦士Zガンダム』の主題歌『水の星へ愛をこめて』(’85年)でデビュー。スマッシュヒットとなった。ところが……。
「アニソン(アニメソング)は今でこそ世界に発信する日本の文化ですが、当時は地味な存在として見られていたんですね。雑誌の記事でも、ほかのアイドルとの扱いの違いを感じていました」
編入した堀越高等学校の芸能コースでは、同学年に荻野目洋子や井森美幸もいたが、彼女たちは仕事が忙しく、学校で顔を合わせることは、ほとんどなかった。
「でも、私はスケジュールがスカスカで、普通に通学できていて。それが恥ずかしくて、ニセの早退届を出して、仕事で忙しいフリをして、学校をサボっていました」
芸能人が多く通う堀越高等学校の制服を着て昼間に出歩いていると、“もしかしたら芸能人かも”と思われる。
「あるとき、大学生ぐらいの男の人たちが近づいてきたんですね。『誰? 誰?』って。私の心の中で“誰でもないから、来ないで”って祈っていたけど、顔をのぞかれて、『誰、こいつ、知らねー』って……。すごく怖かった」
高校卒業時には、ついに「才能がないから、福岡に帰す」とリストラ宣告までされてしまった。
「何かをやって結果が出なかったら納得しますが、仕事がなく、チャレンジすらできない。若くて勝ち気だったし、マネージャーにも『売れないんじゃなくて、売ってくれない!』って苛立ったりしていました。最終的には、泣きながら『これでは帰れない。なんでもしますから』と頭を下げて、チャンスをもらったんです」
そこで舞い込んできたのが、バラエティ番組の仕事だった。最初のロケは「オスのロバを口説いてきて」というもの。
「ターザンの恋人・ジェーンに扮したセクシーな格好をして(笑)。ロバは最初、ノーリアクションだったんですが、“ロバリン♪”って耳に息を吹きかけたらコーフンしてくれて。ようやくOKがもらえました。とにかく顔と名前を覚えてほしかった。“バラエティ番組で頑張ったその先には、きっと歌がある”と信じていたんです」
“バラドル”という新ジャンルを確立し、’89年には『笑っていいとも!』(’82〜’14年・フジテレビ系)のレギュラーを獲得。そして’91年から’96年まで、念願の『紅白歌合戦』への出場を果たしたのだった。
近年ではカバーアルバムシリーズが累計20万枚を突破。日本レコード大賞・企画賞も受賞した。
「アツ苦しい自分が、存分にアツ苦しくなった時代。それが私の’80年代でした」