魚住りえ「チェッカーズのフミヤさんに会うのがいまだに夢」
画像を見る チェッカーズ時代の藤井フミヤ。89年紅白リハで

 

■ドキドキの上京・山手線に乗ったら“フミヤさんに会えるかも”

 

だが、幼いころから音楽と真剣に向き合ってきたがゆえに、言葉を音符に、声を楽器に見立てることができた。

 

「それで高校時代は放送部に。『うる星やつら』(’81〜’86年・フジテレビ系)や『ルパン三世』(’71年〜・日本テレビ系)、『ときめきトゥナイト』(’82〜’83年・日本テレビ系)などのアニメが好きだったから、声優を目指した時期もあったんです」

 

そんな憧れを胸に放送部で活躍し、高校3年時にはNHK杯全国高校放送コンテストに出場。

 

「もう、上京する喜びでいっぱいで。東京の人はみんなオシャレで芸能人みたいだし、田舎出身で東京のスケール感がわからないものだから、山手線に乗れば“もしかしたらフミヤさんに会えるかも”なんて、真剣に探してみたりしました」

 

魚住りえ「チェッカーズのフミヤさんに会うのがいまだに夢」
画像を見る 映画『Song for USA』のロケ風景。セントラルパークにて

 

コンテスト会場であったNHK放送センターのある渋谷から、部活の顧問の先生に連れられて原宿まで歩いて移動。

 

「(ビート)たけしさんのキャラクターグッズがどうしても欲しくて、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(’85〜’96年・日本テレビ系)のショップに行きました。その後、竹下通りを歩いていると、偶然、フミヤさんが『笑っていいとも!』(’82〜’14年・フジテレビ系)に出演したときの生写真を見つけて、即購入。“地元に帰って自慢しよう”って思ったり」

 

コンテストでは朗読部門で約5,000人中の3位に輝き、自信を得た魚住さん。大学卒業後も声の仕事に携わりたいと、難関を突破して日本テレビのアナウンサーになった。そして、’13年にはそれまでの経験を生かした「魚住式スピーチメソッド」のスクールを開講。声にまつわる仕事を続けている。

 

「この仕事を始めたときから、フミヤさんに会うことを夢のひとつとして頑張ってきました。あるラジオ番組のスタッフ経由でサインをいただいたことはあるんですが、まだお会いしたことはないんです。このまま一生、憧れの存在のままなんでしょうね」

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