■何もわからないままアイドルデビュー
ところが中3のある日、突然、大好きな菊池桃子がイメージガールだったアイドル雑誌『Momoco』(学研)の編集部から、「福岡で撮影があるので、ぜひ来てください」と電話が。
「姉が勝手に応募していたんです。両親は基本的に『芸能界なんて』という考えでしたが、『雑誌に載るくらいならいいかな。せっかくの機会だし』と“思い出作り”みたいな感じで賛成してくれて」
ところが、あれよという間にアイドルの登竜門だった「モモコクラブ」の会員となり、ついにはグランプリに輝いてしまう。
「すぐに上京することになり、山口に帰るのは定期テストのときくらいという生活に。親は反対する暇もなかったほどでした」
中学の卒業を待ち、何もわからないままデビューを果たすことになった西村さん。
「初めてのお仕事は『ドン松五郎の生活』(’86年)という映画の主演。主題歌も歌ったんですが、演技も歌も未経験だから、すごく下手で。監督から『君は女優と歌手、どちらをやりたいの?』と聞かれても、『わかりません。事務所に聞いてください』としか答えられませんでした」
それまでテレビの中でしか見たことがなかったアイドルたちと一緒に仕事をするのも驚きだった。
「テレビの特番でハワイロケに行ったとき、クルーザーで船酔いしてしまったんです。すると、田原俊彦さんが『大丈夫?』って。『何か食べないと』って小泉今日子さんはリンゴをむいてくれるし、中森明菜さんには足をさすってもらえて、夢のような体験でした」
とはいえふだんは、右も左もわからないまま、与えられた仕事を懸命にこなし、プライベートな時間などない毎日。世の中の流行からも取り残されそうだった。
「『クイズ・ドレミファドン!』(’76〜’88年・フジテレビ系)に出たとき、隣に座った外国人のタレントさんが、すごく親切に、中学生でもわかるような簡単な英語で、『いくつなの?』『かわいい衣装ね』『白が似合うわね』と声をかけてくれたんです。周りのみんなはそれを見て、すごく興奮していたのですが、私はどなたかわかっていなくて、聞くと『マイケル・ジャクソンのお姉さんのラトーヤさんだよ』と。それでも、マイケルの存在すら知らなかった私は、まったくピンときていなくて……」