■突然の体調不良。転ぶことが多くなったのが始まりだった
「音楽や芝居、声優など、“声”を武器に好きなことを追い求めていました。還暦後にはライブ中心の活動をしようと、50歳くらいから準備も始めていたんです」
だが、還暦を目の前にした19年3月、突然、体に異変が出始めた。
「ナレーションのスタジオへ向かう途中、ゆるい坂道で走ってくる自動車をよけたら、つまずくだけでは済まず、ゴロンと一回転する勢いで転んでしまったんです。近くの人も駆け寄って『大丈夫ですか』と心配されるくらいでした」
特段、気に留めることもなかったが、その後も平坦な道でつまずくことを繰り返した。状況は改善せず、1~2カ月もすると、家から最寄り駅までの徒歩10分の距離を、1回休みを入れないと疲れて歩けなくなった。その休みが2回に増えたとき、近所のクリニックを受診。
「血液検査をすると、炎症を示す数値が異常に高くて、総合病院の整形外科を紹介されました。でも、骨に異常は見られませんでした。1カ月の経過観察中に、杖がないと歩けなくなるし、うんこ座りから立ち上がることもできなくなりました。妻と“名なしの権兵衛病”と名付け、何かしら病気があることは覚悟していました」
整形外科から神経内科へ回され、今度は1カ月の検査入院。皮膚を切開し、麻酔なしで筋肉の一部を取り出す検査、体に針を刺して電気を流す検査などで、病名を探った。ひととおりの検査が終わったころ「ご家族も同席してください」と言われ、夫婦で面談室に行った。
「机の上には、7~8枚にまとめられた報告書が置いてあって、1枚ずつ丁寧に説明をしてくれるんですね。それで最後のページをあけると『ALS、筋萎縮性側索硬化症の可能性が高い』とありました」
担当医からは「現状では治療法はありませんので、すぐに退院できます」と告げられた。
「悲観的にならざるをえない状況なんでしょうが、病名を聞いたときは、なぜかホッとしました。それまで“名なしの権兵衛病”で、何と向き合っているのかも知りませんでしたから。検査入院中から“もしかしたら”という思いもあったので、心構えはできていたのかもしれません」
普通なら、食事も喉を通らなくなりそうだが、
「1カ月ほど病院食だったので、退院した日はおいしいものをおなかいっぱい食べたくて、おすしとピザのデリバリーを頼みました」 ようやく患者のスタートラインに立ったことが、津久井さんの心を奮い立たせたのかもしれない。