住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、あこがれていたアーティストの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。
「’88年に歌手デビューするとき、杏里さんがレコード会社の先輩だったことから“杏里の妹分”として売り出してもらうことに。デビュー前には、勉強のためにコンサートにうかがったりしました。楽屋にお邪魔すると、杏里さんが『律っちゃん、律っちゃん』ってかわいがってくださって。ソバージュで、すらりと背が高くて、あこがれのお姉さんでした」
こう語るのは、田中律子さん(50)。小学生のころはシブがき隊、とくにモックン(本木雅弘)にのめり込んでいたと振り返る。
「ヤックン(薬丸裕英)ファンとフックン(布川敏和)ファンの、私とは“推し”のかぶらない友達と3人でいつも、渋谷公会堂でのコンサートに行ったり、曲の合間に入れるコールの練習をしたりしていました」
コンサート会場で“出待ち”をしても、あこがれのモックンは大勢のファンに囲まれていて、遠くのほうに、米粒のような大きさでしか見えなかった。
「芸能界って、それほど遠いところ。まさか自分が飛び込むなんて考えてもいませんでした」
そんな田中さんがスカウトされた当時は12歳。父方のおばが原宿と町田で経営していた洋服店を手伝っていたときだったという。
「町田のお店のほうで、ハッピを着て春のセールの手伝いをした帰り、おばと歩いていると、何度か前を通り過ぎる不自然な2人組の女性がいて……。それがモデル事務所のスカウトだったんです」
当初、モデルとして活動することに難色を示していた両親だが、元スタイリストだったおばが「女の子なんだから、いいチャンス。アルバイトで社会経験させると思って、やらせてあげなさいよ」と説得してくれた。
こうしてオーディションを受け始めると、テレビCMや、ティーンエイジャー向け雑誌のモデルの仕事が、徐々に決まっていく。
「中2のときには、片岡鶴太郎さんが司会を務める『鶴ちゃんのいちごチャンネル』(’85~’86年・テレビ朝日系)に、アシスタントとして出演することに。生放送で、目の前でアイドルが歌う場面もたくさんあり、なかには大好きなシブがき隊も! まだ怖いもの知らずの中学生だったから、モックンに直接、サインをお願いしちゃったりしました。その後も、テレビに出るたびに『モックン、大好き』って言っていたら、めでたく“ご本人公認”のファンになったんです(笑)」