80年代は忙しく、女優になるために必死でしたと川上さん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に大ブームとなったドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「最近、『おしん』(’83〜’84年・NHK)を再放送していたのですが、一視聴者として、客観的に楽しんでしまいました。じつは序盤の数週間、乙羽信子さん(晩年のおしん)の孫という設定で私も出演していたのですが、当時のことはまったく覚えていないんですよね。そのくらい’80年代は忙しく、女優になるために必死でした」

 

こう語るのは川上麻衣子さん(55)。女優業とともに現在、スウェーデンの小物を中心に扱う雑貨店を、都内で営んでいる。

 

「スウェーデンで生まれ、1歳のときに帰国したのですが、小3で戻ることになって。当時、坂本九さんの“スキヤキ(『上を向いて歩こう』)”や、キャンディーズの『春一番』(’76年)が、現地でも流れていたことを覚えています。本当は2年ほどスウェーデンで暮らす予定だったそうですが、私が日本語を忘れ、すっかり生意気になってしまったことで、『このままでは日本になじめなくなる』と親が心配して、1年で切りあげることになったみたいです」

 

10歳で日本に再び戻ったが、学校の勉強が遅れてしまっていた。そんな川上さんに自信を与えたかったのか、毎年恒例で行っている英語劇が『メリー・ポピンズ』に決まったとき、担任の教師が主役に抜擢したのだった。

 

「それが“お芝居をやりたい”って思う、最初のきっかけでした」

 

アイドル雑誌に掲載されていた劇団の募集欄を見て、入団を決意したが、親は反対だった。

 

「ちょうどその時期、『太陽にほえろ!』(’72〜’86年・日本テレビ系)や『俺たちの旅』(’75〜’76年・日本テレビ系)を手がけた脚本家の畑嶺明先生が祖母の家の前に住んでいて、放送前の台本を内緒で見せてくれたんです。それを全部覚えて、実際の放送を見ながら、セリフの違いを見つけるのが楽しみでした。その畑先生が『僕も知っている劇団だから、安心だよ』と親を説得してくれて」

 

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