永井真理子 苦しめた厳しい高校の寮生活…ギターも弾けず先輩の靴磨き
画像を見る テレフォンショッキングの様子

 

■全寮制高校での生活は「ザ・体育会系」

 

そんなこともあり、自分のギターが欲しかった永井さん。父親と、岐阜県にある全寮制の高校に合格することができたら、買ってもらえるという約束を交わした。

 

「合格して約束どおり、買ってもらえましたが……。お習字の先生をしていた達筆な父に、新品のギターケースに大きく縦書きで『永井真理子』と名前を書かれて、すごく恥ずかしかったのを覚えています」

 

憧れ続けたギターを入手したが、寮生活は厳しく、音を出すことを禁止された。

 

「まったく練習できませんでした。同室には先輩もいるため、下級生は先輩の背中を流したり、靴磨きをしたり、完全な体育会系。つらくて逃げ出す生徒もいましたが、だいたいは敷地内の森で発見されるんです。文通相手の男の子から送られてくるカセットテープで、ナイアガラ・トライアングルの曲を静かに聴くのが、私の唯一の癒しでした」

 

『笑っていいとも!』の存在を知ったのは、そんな高校時代だった。

 

「『どうやら、お昼に面白い番組があるらしい』と噂で聞いていたんだけど、寮では見られないから、夏休みやお正月に帰省したときの楽しみになっていました」

 

高校を卒業した直後、永井さんの父親は他界。親戚からは「お母さんが経営している美容院を継ぐべきだ」と言われた。しかし母親は「東京に行って、自分の好きなことを見つけてきなさい」と送り出し、短大に通わせてくれた。

 

「高校時代からずっと抑圧されていた“音楽をやりたい”という思いがはじけて、入学してすぐ、100人以上も所属する他大の軽音サークルに入ることに。新歓コンパの席で『どんな楽器ができるの?』っていう話題になったのですが、ギターは持っていたものの、当時はまったく弾けなかったので、とっさに『歌ならできます』と答えたんです。そうしたら先輩が『じゃあ、コーラスで入ってみる?』と誘ってくれて。いざバンドで歌ってみると、高揚するし、モヤモヤしたものが全部吐き出されるんですね。もう歌うことしか見えなくなりました」

 

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