永井真理子 苦しめた厳しい高校の寮生活…ギターも弾けず先輩の靴磨き
画像を見る くりくりとした大きな瞳でこちらを見つめる22歳の永井さん

 

■自分見失ったデビュー当初「自由な時間がなかった」

 

そのまま音楽に命をかけるつもりでいた永井さん。だが、まもなくメンバーの先輩たちは、こぞって就職活動を始めた。

 

「歌う場を探していた私に、先輩が紹介してくれたのが、後に楽曲提供してくれることになる、前田克樹さんでした」

 

同じ熱量で音楽に向き合える前田さんとともに、デモテープをレコード会社に持ち込んだという。

 

「もちろん、すぐにデビューできるなんて思っていませんでしたが、最初に持ち込んだレコード会社の担当者が『このあと、お茶でもしませんか。あなたの声には魅力がある。目の中には炎が見える』と興味を持ってくれたんです」

 

母親の希望もあり、在学中は学業を優先。短大を卒業した翌年(’87年)の夏に、デビューを果たした。

 

「レコード会社からは『いきなりシングルのヒットで売れると、次が苦しくなるから』と、アルバムで聴かせられる歌手に育てられ、曲も短大卒業までの間に書きためて、デビュー。夢の扉がバンバン開いた時代でした」

 

着実に歩みを進め、アニメ『YAWARA!』(’89~’92年・日本テレビ系)の主題歌として起用された『ミラクル・ガール』(’89年)、『ZUTTO』(’90年)と、ヒット曲を連発。

 

「この2曲で、私のことを知ってくれた人も多いと思います。急激に忙しくなり、毎日のように撮影や取材が入って、“いったい自分はどこにいるんだろう”とわからなくなりました。忙しいこと自体には耐えられるのですが、友達と会ったり映画を見たりする自由な時間がないのが苦しくて、『これでは自分が成長できない。少し休みたい』と訴えたのですが『そんなの走りながら悩みなさい』と言われてしまい……」

 

そんな状況下、幼いころから見ていた『夜のヒットスタジオ』へ出演したこと、そして大好きな『笑っていいとも!』の「テレホンショッキング」に呼ばれたことは、大きな喜びとなった。

 

「同じ事務所のドリカムさんから声をかけていただきました。

 

たしかツアー中で、移動の新幹線の電話に連絡をいただいたので、周囲がすごくうるさくて、ろくに話もできなかったのですが、『いいとも!』だけは、しっかりと言えました」

 

忙しさのあまり、折れそうになっていた心を支えたのは、デビュー前から大好きだったテレビ番組への出演だった。

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